45: コリント前章13章

たといわれ、もろもろの国人(クニビト)の言葉および御使いの言葉を語るとも、
  愛なくば、鳴る鐘やひびく饒鈑(ニョウハチ)の如し。
たといわれ、予言する力あり、
  またすべての奥義とすべての知識とに達し、
また山を移すほどの大いなる信仰ありとも、
  愛なくば、数うるにたらず。
たとい我、わが財産をことどとく施し、またわが体を焼かるるためにわたすとも、
  愛なくば、我に益なし。 
愛は寛容にして慈悲あり、
  愛はねたまず、愛はほこらず高ぶらず、
非礼をおこなわず、おのれの利を求めず、
  いきどおらず、人の悪をおもわず、
不義を喜ばずして、真理の喜ぶところを喜び、
  おおよそ事忍び、おおよそ事信じ、おおよそ事望み、おおよそ事耐(タ)うるなり。
愛はいつまでも絶ゆることなし、
  されど予言はすたれ、異言(イゲン)はやみ、知識もまたすたらん。
それ我らの知るところ全(マッタ)からず、我らの予言も全からず、
  全き者の来らん時は全からぬ者すたらん。
われ童児(ワラベ)の時は語ることもわらべの如く、
  思うこともわらべの如く、
論ずることもわらべの如くなりしが
  人となりては、わらべのことを棄(ス)てたり。
今われらは鏡をもて見る如く、見るところおぼろなり、
  されどかの時には顔を合わせて相見(アイミ)ん。
今わが知るところ全からず、
  されどかの時にはわが知られたる如く、全く知るべし。
げに信仰と望みと愛と、この三つのものは限りなくのこらん、
  しかしてそのうち最も大いなるは愛なり。