「一羽のすずめさえも」 マタイによる福音書 10章29〜30節
 @マタイによる福音書10章29.30.31節
10:29二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。
10:30あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。
10:31だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」

 時々、公園や道でスズメや鳩が死んでいるのに姿に出会うことがある。自然にしんでいるというよりは、車にひかれたり、カラスにおそわれたりして死んでいるケースが多い、車にひかれてペッシャンコになっている姿は何とも無惨な姿である。そんな時、この聖書の箇所を思い起こす。これも神様の許しの中で起こっていることなのだろうか?本当にこの一羽も神に覚えられているのだろうか。
 「スズメ」これは最も小さいもの、力の弱いもの、価値が低い、顧みられないものの象徴である。スズメ一羽が死んだところで、誰も気に留めない、無視されるような存在である。ところが、神はその一羽のスズメさえ、お忘れになることはない、といわれるのである。さらに続いて、あなた方の髪の毛までも一本残らず数えられている。スズメより遙かに勝っているあなた方を神はお忘れになることはない、といわれた。小さき者、弱き者に注がれている深い神の愛のまなざしである。

 Aルカによる福音書12章6.7節
12:6..五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。
12:7.それどころか、あなたがたの髪の毛までもいっ本も残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」
 スズメは食料、マタイでは2羽が一アサリオン1/16デナイオン:一デナリオン=一日の労賃)、ルカでは5羽が二アサリオンで売られている、と記されている。スズメの値段は一アサリオンで2羽、2アサリオンでは4羽だが、市場では5羽くれる。つまり一羽はおまけということである。
 神はそのおまけの一羽さえも忘れることはないというのである。まして、あなた方おや、である。弱い一羽のスズメが大切にされるなら、まして人間はどんなに弱く、何も出来ない者でも顧みられないはずはないのである。
 神様はイエス・キリストに於いて、私たちをそのように大切な者として見て下さり、どんな弱く、何も出来なくても、罪に満ちていようとも、決して価値がないと見捨てることをされない。愛する神の子として変わりない愛を注いでいて下さるのである。私たちもまた、そのような思いを持って生きることが出来、弱き者への思いを帰られ、互いに支え合うように導いて下さるのだ。
 
 しかし、現実はそれえとは逆の社会ではないか。スズメは勿論、人間の命も重んぜられているとは言い難い。自然は破壊され、多くの弱い動物は絶滅している。スズメ一羽、死んでも誰も顧みない。心を動かされない。人一人の命も軽く扱われている。神の思いとは逆の世の中である。
 ※千葉県舟橋市に住む18歳の少女が行方不明になり、成田空港近くに生き埋めにされた。
 人間は富を追求するあまり。人の命も自分の命も軽く扱ってしまうことになる。弱い者は切り捨てられる。猫や公園の鳥を殺す。浮浪者を襲う。彼らの又、見放され、切り捨てられた富と力の犠牲者なのだろうか。
 
 日本人の良さと問題点