『平和の究極の方法は』
    (イエス様降臨の目的を求めて・・・創造主の願い)

 皆の願いは、「平和な楽しい社会」の実現!です。しかし、現実は子供から大人まで、争いが大好き?、と思われる状況です。子供のゲーム機さえ「戦争ゴッコ」で満ちています。
 D・V、虐待、無視、いじめ、・・・ストーカー事件など多発している社会にあって。真の解決方法を得て、未来を受け継いでくれる子ども達に「平和、平安な居場所」としての社会を実現したいものです。
 夫婦間で、親子間で、子ども社会、学生社会や職場に於いて『何』が大切でしょうか?
 “あなた自身のように、あなたの隣人を愛さなければならない!。”
 (旧約聖書・レビ記19章18節。他)と昔から教え続けられていたユダヤ人も実社会での実行はなかなか出来なかった。
 ましてや、他国や他民族や他宗教や他信条を奉信する者達の間では、不可能とも思われる事柄です。
 それでも、それを乗り越えていかなければ、平和な世界(神の国)は創れないのです。創造主が人間にご自身の霊を与え(創世記1:7神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。)自分の代理者として、「自然に生きる、全ての動物、植物」の世話係とし、人間がその様に生きた時、
 “神はお造りになった全てのものをご覧になった。見よ、それは極めて良かった。!”(創世記1章31節)と録されています。
 人間の歴史は初めから今日まで、「略奪と破壊と戦い」の歴史ですから、この聖句は近未来への「預言」と受け留めます。

 イエス様の「公生涯」の最後に、弟子達へ実地教育をされました。愛と赦しの平和な社会造りを説き続けておられた方がこう言われました。
 “「・今は、財布のある者は、それを持って行きなさい。袋も同じようにしなさい。剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい。」”(ルカによる福音書22章36節)。
 剣は何をするもので、どんな時に使う道具?でしょうか?
 主イエスは、その夜「剣を準備した弟子達(3人)」を連れ祈る為にオリーブ山に行かれました。そして、その明けがたまだ暗い時の出来ごと、ユダに先導された捕縛者たちが来ました。・・・
 “・・・すると人々は進み寄り、イエスに手を掛けて捕らえた。その時イエスと一緒にいた者の一人が、手を伸ばして剣を抜き、大祭司の手下に打ちかかって。片方の耳を切り落とした。”
 そこで、イエスは言われた。『剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。』”(マタイによる福音書26章50b〜52節)。
 剣(相手を倒す道具=武器)は、それを持つ者に一時の安心感を与えます。しかし、持っておれば、それを使うものです。
 人間の歴史は、その武器を進化させる「エスカレートの歩みで、破滅への道」を進み続けています。ユダヤ人への預言があります、 
 “主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
 彼らは、剣を打ち直して鋤とし、剣を打ち直して鎌とする。
  国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない” 
   (旧約・イザヤ書2章4節)
 しかし、ユダヤも他の国も、その様な歩みをしなかった(出来なかった)今日まで。

 大国(小国も)は、より先鋭な武器弾薬を作ることに莫大な財力を注いでいます。他国より強力な物を持って他国を制し、自身の安全の保障(何時破壊されるか知れない、一時の平安・安全)とします。
 誰かが、どの国かが、何かの錯覚により、核ミサイルのボタンを押せば、他国も対応せざるを得なくなり、地球全土の破滅に繋がります。
 人間の悪により、神の刑罰での地球滅亡への警告を、主イエスの愛弟子ペトロは、彼の第二の手紙3章8〜13節に記しますかそれは、新しい地球への再出発でもありますが。Uペトロ3章 8 しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。9 主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。10 しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。11 このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。12 そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。13 しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。 天空から襲ってくる「焼き尽くす火」を無数に確保しています、その様な物を神様に用いられたくありません。

 多くの災害や戦乱で人命が失われ、食糧不足・水不足・医療不足の人々の命を救い永らえさせるために、次世代を継ぎ未来を担う子ども達の為に、、『平和な社会』(神の国)の方策を、主イエスは示して下さいました。
 西欧諸国の歴史は、主イエスの十字架の贖いとセットになっている教え(剣を鞘に納める教え)に立つことが出来ませんでした。自国の勢力を伸ばし、他者を支配下に収めることを優先したからです。
 剣は力です。武力=腕力=威喝し怒りを持つ言葉です
“塩で味付けされた優しい言葉を使いなさい”(コロサイの信徒への手紙4章6節)
愛は「理解と赦しと慰めと励ましの支え」を含んでいます。愛には、『深い悲しみ』が伴っています。
 未来を継ぐ子ども達に『平和な居場所』地球は、まず家庭から!