「主の祈りB」 マタイによる福音書6章9〜14節

「天にまします我らの父よ、
 願わくは、御名をあがめさせたまえ。
 御国を来たらせたまえ。
 御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。
 われらの日用の糧を、今日も与えたまえ。
 われらに罪を犯す者をわれらが赦すごとく、
 われらの罪をも赦したまえ。
 われらを試みに逢わせず、悪より救い出したまえ。
 国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり」。

 「我(わたし)ではなく、我ら(わたしたち)」とある。
これは教会、つまり信仰の共同体の祈りである。執り成しの祈りでもある。信仰の仲間のことを覚えながら祈るのです。

@われらの日用の糧を、今日も与えたまえ。
ルカ11:3「わたしたちに必要な糧を毎日与えて下さい。」
糧・・・・パン。食べ物です。この体を支える食べ物です。
それを「今日も」「毎日」与えて下さい、と祈っている。
 日本においては、今日の食べ物や、明日の食べ物がないという経験は戦争中ならいざ知らず、現代では殆どの人はない。イエス様の時代もそおうはなかったであろう。それなのに、このように祈りなさいとはどういうことなのだろうか。