「第一回異邦人伝道の結果」 使徒言行録14章21節〜15章6節

 パウロとバルナバはシリアのアンティオキアの教会で聖霊によって送り出されて、第一回目の異邦人伝道に出かけた。行き先はキプロス島と小アジアであった。
 小アジア半島では、パウロが語る福音を聞いた人々は二つに分かれた。喜んでキリストを信じた人々と、反対に福音を受け入れない人々はパウロたちを迫害し、リストラ(ルステラ)ではアンティオキア(ヒシデヤのアンテオケ)やイコニオン(イコニオム)から来た激しく反対する人々がパウロを石打の刑にした。それによって死んでしまったと思われ、町の外に引きずり出されたパウロが何と奇跡的に生き返ったのである。その翌日にはデルベに行き、福音を伝えている。それだけでなく、命を狙って石打にした人々や、多くの迫害者がいるイコニオンやアンティオキアに引き返した。それは信じた者たちを力づけ、励ますためでした。命に危険が及ぶことが分かっていながら、それでも彼らは引き返して行ったのである。普通では考えられないことであるが、それは彼らが特別に勇気があったというのではなく、主が彼らと共にいて支えられていたからであった。(15:04エルサレムに到着すると、彼らは教会の人々、使徒たち、長老たちに歓迎され、神が自分たちと共にいて行われたことを、ことごとく報告した。)

14:21二人はこの町(デルベ)で福音を告げ知らせ、多くの人を弟子にしてから、リストラ、イコニオン、アンティオキアへと引き返しながら、 14:22弟子たちを力づけ、「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」と言って、信仰に踏みとどまるように励ました。

 @「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」
ヨハネによる福音書「15:18「世があなたがたを憎むなら、あなたがたを憎む前にわたしを憎んでいたことを覚えなさい。 15:19あなたがたが世に属していたなら、世はあなたがたを身内として愛したはずである。だが、あなたがたは世に属していない。わたしがあなたがたを世から選び出した。だから、世はあなたがたを憎むのである。」
ヨハネによる福音書16:33「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」

 A「信仰に踏みとどまるように励ました」
 迫害の中、多くの人々が弟子となった。こういった中で信仰を持つということは、覚悟がいったであろう。周りから色々と言われ、揺れ動く者もいたであろう。
 テモテと家族も、第一回伝道の時、苦難の中で、種が蒔かれ、根付いていた人々でした。彼らは大いにパウロを力づけた。

14:23−28 長老任命
14:23また、弟子たちのため教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せた。 14:24それから、二人はピシディア州を通り、パンフィリア州に至り、 14:25ペルゲで御言葉を語った後、アタリアに下り、 14:26そこからアンティオキアへ向かって船出した。そこは、二人が今成し遂げた働きのために神の恵みにゆだねられて送り出された所である。 14:27到着するとすぐ教会の人々を集めて、神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した。
 長老はどういうことをしたのか。教会の内外の世話。御言葉を教えた。
テトス01:06長老は、非難される点がなく、一人の妻の夫であり、その子供たちも信者であって、放蕩を責められたり、不従順であったりしてはなりません。」 教会制度の初めであった。

15:1−6 割礼を強いる人々
15:01ある人々がユダヤから下って来て、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と兄弟たちに教えていた。 15:02それで、パウロやバルナバとその人たちとの間に、激しい意見の対立と論争が生じた。この件について使徒や長老たちと協議するために、パウロとバルナバ、そのほか数名の者がエルサレムへ上ることに決まった。 15:03さて、一行は教会の人々から送り出されて、フェニキアとサマリア地方を通り、道すがら、兄弟たちに異邦人が改宗した次第を詳しく伝え、皆を大いに喜ばせた。 15:04エルサレムに到着すると、彼らは教会の人々、使徒たち、長老たちに歓迎され、神が自分たちと共にいて行われたことを、ことごとく報告した。 15:05ところが、ファリサイ派から信者になった人が数名立って、「異邦人にも割礼を受けさせて、モーセの律法を守るように命じるべきだ」と言った。

 【ユダヤ教への改宗者】
 ユダヤ人以外の人が、ユダヤ人に啓示された神を信じること、律法を学び、それに従うこと、割礼を受けて、ユダヤ教に改宗すること。
 @寄留者(パレスティナの異邦人) 例)日本に住んでいる外国人が仏教徒に
 Aヘレニズムのユダヤ教(ディアスポラ:離散のユダヤ人)
  パレスティナ以外の地でギリシャ語を話す異邦人がユダヤ教徒(割礼無しの改宗者)

 今までパウロがユダヤ人会堂に入って福音を伝えて信じた人々は上記のAのひとびとであった。ところが次第にこういった人以外の全くの異邦人が福音を信じ教会のメンバーとなるようになってきた。そういった人々に、あなたがたは福音(イエス)を信じるだけでは救われませんよ、割礼を受け、律法も守るべきだ、というファリサイ派ユダヤ人から信者になった者がいた。パウロやバルナバと激しい論争が起こった。この「割礼」の問題は大きな問題となった。「割礼」の歴史はアブラハムまでさかのぼる。創世記17:9〜以下に記されている。
17:09神はまた、アブラハムに言われた。「だからあなたも、わたしの契約を守りなさい、あなたも後に続く子孫も。 17:10あなたたち、およびあなたの後に続く子孫と、わたしとの間で守るべき契約はこれである。すなわち、あなたたちの男子はすべて、割礼を受ける。 17:11包皮の部分を切り取りなさい。これが、わたしとあなたたちとの間の契約のしるしとなる。 17:12いつの時代でも、あなたたちの男子はすべて、直系の子孫はもちろんのこと、家で生まれた奴隷も、外国人から買い取った奴隷であなたの子孫でない者も皆、生まれてから八日目に割礼を受けなければならない。 17:13あなたの家で生まれた奴隷も、買い取った奴隷も、必ず割礼を受けなければならない。それによって、わたしの契約はあなたの体に記されて永遠の契約となる。 17:14包皮の部分を切り取らない無割礼の男がいたなら、その人は民の間から断たれる。わたしの契約を破ったからである。」

 ◎パウロはこのことについて、大切なことはアブラハムが神を信じた、と言うことであって割礼はそれに付属するものであって、本質的なことではない、という。「割礼の有無は問題ではない。愛の実戦を伴う信仰こそ大切です。」(ガラテヤ 05:09わずかなパン種が練り粉全体を膨らませるのです。 )
 救いは人間の行いや力によるのではなく、ただ神の恵みによる。キリストの十字架による贖いを信じる信仰による。
 「自分は正しい行いが出来ていない。自分は罪多く、神の前に出ることは出来ない、相応しくない。自分の行いは悪いので、神に許されない。信仰を持つことは出来ない。」
 それは勝手な思い込みである。神はそのありのままの自分で良いと言うのである。主よ、こんな者を憐れんで下さい。キリストの十字架によって、罪を許して下さい、と告白する者を神は喜んで受け入れて下さい。