「信仰と絆と使命」 使徒言行録20章1〜16節

 パウロは第三回目の伝道旅行において、大都市エフェソで約3年間、伝道した。19章を読むと、パウロが語った福音の影響、聖霊の働きがどれほど大きかったかが分かる。
 パウロはエフェソ伝道の間に、今まで伝道した教会に募金を予め集めておくようにお願いしていた。それは生活に困窮していたエルサレム教会を支援するための募金であった。その募金の回収と励ましのため、エフェソを離れマケドニアとアカイや地方に出発した。(募金について:コリント一16:1-9、コリント二9:1-5、ローマ15:26)

 募金の収集と励まし
20:01この騒動が収まった後、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げてからマケドニア州へと出発した。
20:02そして、この地方を巡り歩き、言葉を尽くして人々を励ましながら、ギリシアに来て、
20:03そこで三か月を過ごした。パウロは、シリア州に向かって船出しようとしていたとき、彼に対するユダヤ人の陰謀があったので、マケドニア州を通って帰ることにした。

 まず、パウロはマケドニア州、つまりフィリピ、テサロニケ、ベレアを訪問し、予め集めておくように告げていた募金を集めると共に言葉を尽くして彼らを励ました。彼らは強制されてではなく、心から感謝して、喜んで献げた。パウロはこのことをコリント人への手紙で次のように述べている。
コリント第二8:1〜
08:01兄弟たち、マケドニア州の諸教会に与えられた神の恵みについて知らせましょう。 08:02彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったということです。

 又、パウロは次のような言葉を持って励ました。
テサロニケ信徒への手紙1:2..3
01:02わたしたちは、祈りの度に、あなたがたのことを思い起こして、あなたがた一同のことをいつも神に感謝しています。 01:03あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。 01:04神に愛されている兄弟たち、あなたがたが神から選ばれたことを、わたしたちは知っています。

 また、問題が多いコリント教会では3ケ月滞在し、募金を集めると共に、彼らをも励まし、教えた。
 そして、いよいよコリントを去り、第二回目の伝道旅行と同じようにケンクレアイの港からシリア州に向けて船出しようとした時、危機一髪というか、船出前にユダヤ人達の陰謀が発覚した。おそらく、過ぎ越祭に行くユダヤ人が同じ船に多く乗ることになっていて、パウロに反対する過激派が船中で暗殺計画を立てていた、というものではなかったか。

 頼りになる同志
20:04同行した者は、ピロの子でベレア出身のソパトロ、テサロニケのアリスタルコとセクンド、デルベのガイオ、テモテ、それにアジア州出身のティキコとトロフィモであった。20:05この人たちは、先に出発してトロアスでわたしたちを待っていたが、
20:06わたしたちは、除酵祭の後フィリピから船出し、五日でトロアスに来て彼らと落ち合い、七日間そこに滞在した。
 6節に「わたしたち」と言う言葉が出て来るが、これはこの使徒言行録を書いた著者ルカが含まれているということだ。ここから再びルカが加わったということである。パウロはこのルカをとても信頼していた。ルカは医者でしたので、パウロの健康面についても仕えたのであろう。ですからこの時、パウロと同行したのは、先の7人とルカを加えた8人だった。パウロにとっては皆力強い同志(志を同じくする者)であった。

 信仰の絆の根本20:7〜12
20:07週の初めの日、わたしたちがパンを裂くために集まっていると、パウロは翌日出発する予定で人々に話をしたが、その話は夜中まで続いた。0:08わたしたちが集まっていた階上の部屋には、たくさんのともし火がついていた。20:09エウティコという青年が、窓に腰を掛けていたが、パウロの話が長々と続いたので、ひどく眠気を催し、眠りこけて三階から下に落ちてしまった。起こしてみると、もう死んでいた。 20:10パウロは降りて行き、彼の上にかがみ込み、抱きかかえて言った。「騒ぐな。まだ生きている。」 20:11そして、また上に行って、パンを裂いて食べ、夜明けまで長い間話し続けてから出発した。 20:12人々は生き返った青年を連れて帰り、大いに慰められた。
 信仰の根本、根はキリストの血による罪の赦し、復活による永遠の命である。この信仰の絆の確認はパン裂き、主の晩餐、聖餐です。パウロはその絆にシッカリと繋がり、離れることがないように皆に熱く語った。
 
 パウロは話しを中断して階下に降りていった。青年が生きていることを確認して、再び階上に上がって行き、パンを裂き、主イエスが十字架で身を裂かれ、その激し痛みと苦しみによって罪の贖いを成し遂げ、死んで葬られたこと、三日目に復活したことを、語ったであろう。そして青年をよみがえらせた神は、罪に死せる者に復活の命の息を吹き込み、生き返らす方であることを、告げたであろう。

 使命の自覚20:13〜13
20:13さて、わたしたちは先に船に乗り込み、アソスに向けて船出した。パウロをそこから乗船させる予定であった。これは、パウロ自身が徒歩で旅行するつもりで、そう指示しておいたからである。
20:14アソスでパウロと落ち合ったので、わたしたちは彼を船に乗せてミティレネに着いた。
 陸路フィリピまで行き、フィリピで除酵祭(過ぎ越祭)を終えて、ネアポリスの港から船で5日間かけてトロアスまで、トロアスで7日間滞在し、再び船に乗り海路アソス(48q)に向けて船で、この時パウロだけは陸路、徒歩でアソスに向かった(32q)
 パウロは何故この様な行動を取ったのだろうか。この時、パウロは一人になって、神の御心を問い、覚悟を決めた時ではないだろうか。
 それはこのあと、22〜24節でエフェソの長老達に告げた決別の辞からでも分かる。パウロにとって何が一番大切なことであったか。それは自分に与えられた使命、ミッションを遂行することであった。

 私たちに対する使命は何か。
マタイ・28:19だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、 28:20あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
 キリストの福音を宣べ伝え、キリストの弟子とすること、これがどの教会にも、どの信徒にも与えられている神の使命である。
 神様は様々な違った教会をこの世におき、その使命を果たすように導いておられるのです。又、教会の中に色々な人を召して、その使命を遂行させようとしている。小さな力を合わせて、互いに愛し合い、福音を伝え、神の祝福に与る人が一人でも多くなるように励みましょう。






20:15翌日、そこを船出し、キオス島の沖を過ぎ、その次の日サモス島に寄港し、更にその翌日にはミレトスに到着した。 20:16パウロは、アジア州で時を費やさないように、エフェソには寄らないで航海することに決めていたからである。できれば五旬祭にはエルサレムに着いていたかったので、旅を急いだのである。