「誰が神の国に入るのか」ルカによる福音書18章18〜30節
 ここは聖書全体からみていかないと誤解しやすい所です。少なくてもその前後の箇所も含めて考えていく必要fがあります。そうすると、この福音書の著者であるルカが伝えようとしてるイエス様の福音が浮き上がってきます。
 まず、聖書全体からすると、永遠の命(神の国にはいること、罪からの救い)は、パウロが強調しているように、何かを捨てるとか、善い行いをするとか、という人間の側の行為や努力ではなく、信仰によって与えられる神からの恵み賜物である、ということです。そのことは、まず創世記のアブラハムによって鮮明にされ、イエス様の贖いの業(十字架と復活)によって揺るがぬ土台が築かれ、そしてパウロによってユダヤ人だけではなく、異邦人の信じる者すべてに、分け隔て無く与えられるものであることが明らかにされた。律法の行いによる義ではなく、イエス・キリストを信じる信仰による義です。

 パウロは(ローマ4:23〜25)でアブラハムの信仰を引き合いに出して、こう記している
04:23しかし、「それが彼の義と認められた」という言葉は、アブラハムのためだけに記されているのでなく、 04:24わたしたちのためにも記されているのです。わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、わたしたちも義と認められます。 04:25イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。

 次ぎに前後の数カ所を簡単に見てみましょう。著者ルカが伝えようとしてるイエス様のメッセージの共通性があります。
 @18:1〜8「やもめと悪裁判官
 A18::9〜14「ファリサイ派の人と徴税人」
 B18:15〜17「乳飲み子を呼び寄せた」

 「神の国は乳飲み子のような者たちのものである。」
 C18:18〜30「永遠の命の求めた議員」
 D18:31〜34「イエスの十字架と復活」の予告
 ここに、信仰によって、ただ信仰だけで、永遠の命が頂ける根拠、土台がある。御子イエス様の血が流され、命が献げられることによってだけ可能となる。
 E18:35〜43「物乞いの盲人」  「私を哀れんで下さい」と叫び続けた。「あなたの信仰があなたを救った。」
 F19:1〜10「徴税人の頭ザアカイ」」の話し。
 町税人の頭、大金持ち、背の低いザアカイは、イエス見たさに、先回りしていちじく桑の木に登った。彼はまるで子どものように。
   共通性は神への信頼、信仰である。

 これが前後の文脈である。本を見ていきましょう。
 この議員はイエス様に善い先生、何をすれば永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」と尋ねた。
 18:19イエスは言われた。「なぜ、私を『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。」
 彼はイエス様を善い先生と呼んでいる。この「善い」とは本質的に良いという意味です。「よい」という言葉は二つあって外側の姿形がよいというのと、内面、本質がよというのとがある。ここで使われるのは内面、本日が良いという言葉である。

 ローマの信徒への手紙3章
[ユダヤ人もギリシア人も皆、罪の下にあるのです。 03:10次のように書いてあるとおりです。「正しい者はいない。一人もいない。 03:11悟る者もなく、
神を探し求める者もいない。 03:12皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。善を行う者はいない。ただの一人もいない。

詩編14:1〜3
14:01【指揮者によって。ダビデの詩。】神を知らぬ者は心に言う
「神などない」と。人々は腐敗している。忌むべき行いをする。善を行う者はいない。
14:02主は天から人の子らを見渡し、探される
目覚めた人、神を求める人はいないか、と。
14:03だれもかれも背き去った。皆ともに、汚れている。善を行う者はいない。ひとりもいない

 人間の中には本質的に『善い』者は誰もいない。正しい者はいない。義人はいない。全ての者が罪の下にある、ということだ。

 彼は本質的な善さを求めていた真面目な人でした。イエス様はまだ彼の内に見込があると思い、ショック療法的に厳しい言葉を投げかけました。
 「あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分け与えてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
 あなたが律法を守っているというのだったら、全財産を売り払って、貧しい人のために分けてやりなさい。律法はそこまで要求しているのだ。軽々しく律法を守っていると言うな。もし、あなたが心底から、心の本質から貧しい人を憐れに思い、自分の全財産を分け与えて、助けてやりたいと願って、そうするなら、永遠の命、神の国をあなたは受け継ぐことが出来る。
 彼はそれを聞いて、非常に悲しみながら去っていった。大変な金持ちだったからだ。多く持てば持つほどそうなるのでしょうか。結局、富が彼の主となって、彼を支配していた。神と富とに兼ね仕えることは出来ない。

  「善い先生、何をすれば永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」 
 問題は「何をすれば」という問いです。自分の行い(律法)、功績で永遠の命、神の国を手に入れようとしていることです。しかし、永遠の命、神の国はとんなに頑張っても、そのようなもので手に入れることは決して出来ない。なぜなら、それは神のものだからだ。神の領分に属することだからだ。人間がどんなに背伸びをしても手の届く代物ではない。それを人間の努力で手に入れることが出来ると思うこと自体が傲慢というのもだ。
 永遠の命はただ、神の憐れみによって、イエス・キリストの贖いを通して、恵によって、頂ける神の賜物である。

 「人には出来ないことも、神には出来る」  
 神はちゃんとそれを備えて下さっている。神の方法は基準は、それが出来るか出来ないか、持っているか、持っていないかではない。全ての人に平等に与える方法である。永遠の命を頂く方法、手段じゃ信仰だけである。
 御子イエス様を十字架につけ、復活させることを通して、それを信じる者を義とし、その信仰によって救おうとされた。何も出来なくても、ただキリストを信じる信仰によって義とし、永遠の命、神の国を与えるとの約束である。
 
 ローマの信徒への手紙より
03:20なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。
01:17福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。

03:22すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。 03:23人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、 03:24ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。



ルカによる福音書18章18〜30節
18:18ある議員がイエスに、「善い先生、何をすれば永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」と尋ねた。
18:19イエスは言われた。「なぜ、わたしを「善い」と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。
18:20『姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証するな、父母を敬え』という掟をなたなは知っているはずだ。」
18:21すると議員は、「そういことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。
18:22これを聞いて、イエスは言われた。「あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
18:23しかし、その人はこれを聞いて非常に悲しんだ。大変な金持ちだったからである。
18:24イエスは、議員が非常に悲しむのを見て、言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難ししことか。
18:25金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」
18:26これを聞いた人々が、「それでは、だれが救われるのだろうか。」と言うと。
18:27イエスは、「人間にはできないことも、神にはできる」と言われた。
18:28するとペトロが、「このとおり、わたしたちは自分の物を捨ててあなたに従って参りました。」と言った。
18:29イエスは言われた。「はっきり言っておく。神jの国のために、家、兄弟、両親、子供を捨てた者はだれでも、
18:30この世ではその何倍もの報いを受け、後の世では永遠の命を受ける。」