紀南キリスト教会の両牧師をご紹介します(^。^)


上山耕司師
紀南キリスト教会牧師

 出身地・岡山県津山市
 1949年5月14日生まれ:現在○○歳
 田辺市民になられて28年(現2008年)
 田辺に来られる前年の9月、愛妻コト姉と大阪聖書学院で結婚式を挙げられました。
 故・レモン宣教師から、田辺に来ないかとのお誘いがあり、新婚の12月に、田辺を下見に来られました。故・レモン宣教師には、喫茶伝道をやりたいという思いがありましたので、「一緒にその働きをしてくれる人を・・」と祈っておられたのです。その祈りの矢が、新婚の上山牧師夫妻にグサッ。(;゚゚)ウッ!
 それまで上山牧師夫妻は、東大阪市の瓢箪山で開拓伝道『聖書を読む会』をしておられたそうです。そして選ぶ道(進む道)は3通りあり、このまま瓢箪山に留まって開拓伝道をする。もう一つは故郷の岡山に帰る。(その頃お父様がご病気だったそうです)そして田辺に来る。

 苦労をして大学に行かせて下さったのに、更に神学校に行くということで、ご両親は大変なショックを受けられたそうです。それなのに更におまけに、今あるのもを捨てて(?)見知らぬ土地に行くというのは・・・・。
 「僕は、どちらを選んでも良かったんです。でも両親の気持ちは、帰ってきてほしいということだったと思います。導きを祈りましたがいつまで経っても答えが出なかった。そんな時、『信仰の類推』という本を読み『狭き道を選べ』との言葉も決心のきっかけになったと思うが、故・ジャック・槇島兄や故・レモン宣教師のとの今までの関わりが、『田辺移住』を決心をさせた大きな要因に思う。」と言っておられました。「僕はどちらでも良かったんです」と平然とした口調で言っておられましたが、かなり悩まれたように聞き取れました。
 たとえ他の道を選んでいたとしても、それは導きとだった思います。故郷は懐かしい母なる地ではあるが、『あなた方は旅人また寄留者である』という思いがあるので、寂しさはない「住めば都」とのことです。

 2tトラックに家財道具を積み、コト姉しと共に田辺に来て下さいました。
 故・レモン宣教師との生活は、7年半だったそうです。レモン宣教師の「喫茶伝道」の祈りは、かなえられませんでしたが、まだレモン宣教師がお元気だった頃は、お二人で彼方此方を訪問をされたり、夜の集会、讃美と聖書の学び会、バイブルクラス等をされていました。
 コト姉が英会話、上山先生は数学の塾をされて生計を立てながら、主の御言葉を伝える働きをされていました。レモン宣教師がガンに冒され手術を受けてからは、体力が急激に衰え寝たきりになられました。先生とコト姉には更に「看護」が加わりました。子育て、伝道、塾、看護・・・。此の頃の先生・コト姉のご苦労はいかばかりかと推察しますが、お二人の緩やかな性格のゆえに私達は救われました。
 
 平成1年、専任牧師就任。私たちには到底計り知る事が出来ないご苦労・経験をされていいる事と思っています。
 主日礼拝、夕拝、聖書研究、祈祷会、訪問、町内での働き、保護士等々、一週間を通して大変お忙しいですが、あの穏やかな性格が功を奏しています・・・が、時として私の苛立ちの原因となる時があります。(#^.^#)
 主日礼拝・午前中は、上山牧師を通して心の糧を頂き、毎礼拝後、コト姉が心を込めて作った下さった肉の糧を頂き、身も心も満腹!!食べ放題で定額。\(・o・)/そして暫く自由な交わりの時を過ごし、又それぞれの生活の場に戻ります。

 紀南教会は小さな群れです。兄弟姉妹が支え合い・励まし合い仲よく信仰生活がおくれるのは、上山牧師夫妻の信仰の(性格も含?)賜物と思っています。それぞれに個性が強く、時として牧師よりも強力を武者振り出す者もおり、まとめるのが大変なことが多々あると思いますが、信仰とその穏やかな性格がそれを許して下さっているのだと思っています。口には出さねど感謝の思いは尽きません。
 「神様、上山牧師夫妻を田辺の地に、そしてこの教会に導いて下さり、ありがとうございます」 詠み人知らず


森川末男師

学校法人・恵み学園紀南幼稚園々長
紀南キリスト教会協力牧師
長崎県出身

 平成1年から紀南幼稚園の園長として働いておられます。それまでは紀南教会牧師と紀南幼稚園々長を兼任しておられました。
 話は遡りますが、紀南教会も一時期無牧の時代がありました。
 故・レモン宣教師が、毎週他教会の牧師先生や宣教師先生にお願いして来ていただき、紀南教会の礼拝を守っていました。時にはテープで御言葉を聴く日もありました。その頃に森川先生も、時々来て下さっていた記憶があります。
  その頃の森川先生のトレードマークとでもいいましょうか、その姿(服装)は、布製の帽子にコートを着て、「日本人版・刑事コロンボスタイル自転車乗り」をご想像下さい。そのスタイルが今も私の頭の中に残っていますし、私の森川先生の姿です。

  現在は車を運転されていますが、その昔は自転車が愛車でした。ある日、自転車屋の前を通りかかったとき、目に付いた自転車・・・「ほしい!、買いたい!どうしてもほしい!!」しかし諸般の事情を思うと、買値は1000円迄。その日から、自転車屋に通いました。先生の熱心さに心を打たれた(?)自転車屋のご主人は、3日目に首を縦に振ってくださり、先生の言い値で落札されました。少々の距離でも、その自転車で走って行かれていました。
 \(^^@)/
 自転車では行動範囲が限られてくるので「もう少し行動範囲が広くり便利になるように何としなければ」と、故・榎本平助長老に、原付バイク購入のお願いにいき快諾を得ました。
 或る年の夏の始め、森川先生を訪ねて行って「夏休み中に必ず50cc(原付)の免許を取ってください。必ず、夏休み中に」と教則本を渡しました。バイクの方が早く届きましたが、願い通り先生は夏休み中に免許を取得されました。そしていつの間にか自動二輪に、そして自動車へと昇格していき現在に至っています。 

 今はどの幼稚園も運営が大変な時期に来ているようですが、森川園長先生は「必要とされている時は必ず守られる」との主への強い信頼の元に、キリスト教幼児教育を子供達や保護者の皆さんに伝道をされています。体力的にも厳しい時があると思っていますし、何時も忙しそうにされているのを見るにつけ、主のお守りを祈らずにはおられませんが、先生の「必要とされている時は必ず守られる」との信仰と信念に、主の祝福を祈っています。
詠み人知らず


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