「主の慈しみは決して絶えない」 哀歌(旧約:P1289)3章16−33節

16 私の歯を小石で砕き、灰の中に私をすくませた。
17 私のたましいは平安から遠のき、私はしあわせを忘れてしまった。
18 私は言った。「私の誉れと、から受けた望みは消えうせた」と。
19 私の悩みとさすらいの思い出は、苦よもぎと苦味だけ。
20 私のたましいは、ただこれを思い出しては沈む。
21 私はこれを思い返す。それゆえ、私は待ち望む。
22 私たちが滅びうせなかったのは、の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。
23 それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。
24 こそ、私の受ける分です」と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。
25 はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。
26 の救いを黙って待つのは良い。
27 人が、若い時に、くびきを負うのは良い。
28 それを負わせたなら、ひとり黙ってすわっているがよい。
29 口をちりにつけよ。もしや希望があるかもしれない。
30 自分を打つ者に頬を与え、十分そしりを受けよ。
31 主は、いつまでも見放してはおられない。
32 たとい悩みを受けても、主は、その豊かな恵みによって、あわれんでくださる。
33 主は人の子らを、ただ苦しめ悩まそうとは、思っておられない。

 ★歴代誌下36章11〜(P721)ゼデキヤ王の罪とバビロンの王の破壊
 ★エレミヤ書39章(P1251)にエルサレム陥落の記述
 バビロニア軍によるエルサレム攻撃はすさまじいものがあった。エルサレムは一年半にわたって包囲され、兵糧攻めをされ、民は飢え自分の幼い子を殺して食べる所まで追い詰められた。まさに生き地獄を体験した。ついには城壁が破られ、老人や女・子どもに至るまで虐殺され、奴隷として役に立ちそう八名者は囚人として引かれていった。そして、エルサレム神殿は徹底的に破壊しつくされ、宝物は奪い去られた。
 預言者エレミヤはその悲劇を目撃し、神の言葉に聞く耳を持たなかった民の哀れな姿に涙を流したのです。エレミヤ以外にも涙を流した人々がいた。彼らが哀歌を書いた。
 
 哀歌はエルサレムの民が非常な苦しみに遭い、壊滅的な状況を目の当たりにし、奴隷として引かれて行った先でその哀しみ、悲哀を歌った歌ですが、不思議なことに真っ暗闇の中にいるにもかかわらず、その中で光る一筋の光、希望を歌っている箇所があります。その一つが今日の箇所です。
 「哀歌」の「哀」という漢字の意味は「悲しさ」を表しますが、悲しいだけでなく、あわれで、もの悲しさを表現します。英語ではLamentation、lament悲しむ、嘆く、悼(イタ)む。
 本書には5つの歌がおさめられている。それぞれは紀元前586年におきたエルサレムの陥落とエルサレム神殿の破壊を嘆く歌であり、その後のバビロン捕囚の時代につくられたものと考えられている。2500年以上前の歌です。

 榎本保郎牧師の「一日一章」の哀歌の冒頭の箇所には次のような説明文が記されている。
 「本書はへブル語の『エーカー』(ああ悲しいかな)の言葉を持って始められている。この筆者はエレミヤであると伝えられてきたが、近代の多くの学者によって時代を異にする無名の3人の詩人によって歌われたものがまとめられたものであるとされている。内容は、地上的において逆境にありながら、神に望みを於いて生きることがうたわれている。」
  哀歌1章1〜7節、 
1 ああ、人の群がっていたこの町は、ひとり寂しくすわっている。国々の中で大いなる者であったのに、やもめのようになった。諸州のうちの女王は、苦役に服した。
2 彼女は泣きながら夜を過ごし、涙は頬を伝っている。彼女の愛する者は、だれも慰めてくれない。その友もみな彼女を裏切り、彼女の敵となってしまった。
3 ユダは悩みと多くの労役のうちに捕らえ移された。彼女は異邦の民の中に住み、いこうこともできない。苦しみのうちにあるときに、彼女に追い迫る者たちがみな、彼女に追いついた。
4 シオンへの道は喪に服し、だれも例祭に行かない。その門はみな荒れ果て、その祭司たちはうめき、おとめたちは憂いに沈んでいる。シオンは苦しんでいる。
5 彼女の仇がかしらとなり、彼女の敵が栄えている。彼女の多くのそむきの罪のために、が彼女を悩ましたのだ。彼女の幼子たちも、仇によってとりことなって行った。
6 シオンの娘からは、すべての輝きがなくなり、首長たちは、牧場のない鹿のようになって、追う者の前を力なく歩む。
7 エルサレムは、悩みとさすらいの日にあたって、昔から持っていた自分のすべての宝を思い出す。その民が仇の手によって離れ、だれも彼女を助ける者がないとき、仇はその破滅を見てあざ笑う。
 哀歌3章1〜33節
1 私は主の激しい怒りのむちを受けて悩みに会った者。
2 主は私を連れ去って、光のないやみを歩ませ、
3 御手をもって一日中、くり返して私を攻めた。
4 主は私の肉と皮とをすり減らし、骨を砕き、
5 苦味と苦難で私を取り囲んだ。
6 ずっと前に死んだ者のように、私を暗い所に住まわせた。
7 主は私を囲いに入れて、出られないようにし、私の青銅の足かせを重くした。
8 私が助けを求めて叫んでも、主は私の祈りを聞き入れず、
9 私の道を切り石で囲み、私の通り道をふさいだ。
10 主は、私にとっては、待ち伏せしている熊、隠れている獅子。
11 主は、私の道をかき乱し、私を耕さず、私を荒れすたれさせた。
12 主は弓を張り、私を矢の的のようにし、
13 矢筒の矢を、私の腎臓に射込んだ。
14 私は、私の民全体の物笑いとなり、一日中、彼らのあざけりの歌となった。
15 主は私を苦味で飽き足らせ、苦よもぎで私を酔わせ、
16 私の歯を小石で砕き、灰の中に私をすくませた。
17 私のたましいは平安から遠のき、私はしあわせを忘れてしまった。
18 私は言った。「私の誉れと、から受けた望みは消えうせた」と。
19 私の悩みとさすらいの思い出は、苦よもぎと苦味だけ。
20 私のたましいは、ただこれを思い出しては沈む。
21 私はこれを思い返す。それゆえ、私は待ち望む。
22 私たちが滅びうせなかったのは、の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。
23 それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。
24 こそ、私の受ける分です」と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。
25 はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。
26 の救いを黙って待つのは良い。
27 人が、若い時に、くびきを負うのは良い。
28 それを負わせたなら、ひとり黙ってすわっているがよい。
29 口をちりにつけよ。もしや希望があるかもしれない。
30 自分を打つ者に頬を与え、十分そしりを受けよ。
31 主は、いつまでも見放してはおられない。
32 たとい悩みを受けても、主は、その豊かな恵みによって、あわれんでくださる。
33 主は人の子らを、ただ苦しめ悩まそうとは、思っておられない。

 ※ドイツの作曲家ではバッハが有名ですが、ほぼ同時代に活躍した作曲家にゼレンカという人がいて、この哀歌を元にして作曲をしています。
[1722年、ゼレンカは“聖週間(受難週)のための6つの哀歌ZWV53”を作曲しました。これがドレスデンでの彼の地位を固めると同時に、現在彼の作品の中で最もポピュラーな物の一つでもある「エレミアの哀歌」です。
 この作品は旧約聖書中で最も哀しみに満ちた詩である「哀歌」に由来します。(哀歌はエレミヤ作だとは言えませんが、エレミヤの哀しみと共通するものであることは間違いありません。)
 哀歌は、カトリック典礼においては聖木曜日、聖金曜日、聖土曜日(受難週)の朝課(テネブレ)で朗読されることになっています。聖週間とはキリストの受難を思い起こす週間なので、ある意味非常にふさわしい内容なわけです。
 ところでこの作品は「哀」歌ですが、実際に聴いてみたら結構明るい曲もあって「じと〜っと沈みたいから聴いたのに!」と拍子抜けされる人がいるかも知れません。
 これはこの作品がキリストの「受難」週に歌われるということが大きく影響していると思われます。
 受難という出来事を思い返した場合、もちろん主を失う悲しみが最も大きな感情になりますが、その他にも主を見捨てて逃げ去った弱さへの怒りや、これが最も重要ですが来(キタ)るべき復活への希望などの様々な想いが複雑に絡み合ってきます。決して単に悲しんでいるだけではないわけです。
 ゼレンカはそのあたりを当然よく理解していたでしょう。彼の音楽が単に悲哀一辺倒ではなく、いろいろな想いがいろいろな形で曲の中に反映されているのはまさにその現れだと思います。]

 ユダヤ人の苦悩をキリストの苦難とダブらせて、キリストは、本来私たちが受けるべきわたしたちの苦難を、キリスト御自身が代わりに受けて苦しんで下さった。哀歌がただ神の裁きによる苦悩だけに止まらず、その先にある救い、希望へとつながっている歌だからこそ聖書に取り入れられているといえます。

22 主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決してつきない。
33 人の子らを苦しめ悩ますことがあっても それが御心なのでは
ない。