「永遠の命を受け継ぐ者」 ルカによる福音書10章25〜37節

 万能細胞と言われるips細胞に続いて、スタップ細胞が発見されて大きな話題となった。ところが・・・・・。
 あらゆる臓器が再生され永遠の命も不可能ではないとさえ思えた。それだけ人間は死を恐れ、命を脅かす老いや病気に立ち向かい、永遠性を手に入れようとしてきた。しかし、人間は動物と同じように動物的、肉体的な存在であると共に、精神的な、霊的な存在でもある。肉体的な命が長くなればよいという単純なものではない。
 神は御自分の存在を様々な方法で知らせてきた。聖書はその一つである。その中には天地万物の創造の由来や神が人間をどのように造り、どのように関わり、導いてこられたかが記されている。神は一つの民族イスラエル民族をモデルとして選び。彼等に御自分を啓示し、現してこられた。又神はモーセを通して、彼等に律法を与え、これによって神に繋がる生活の指針を示されたのである。その律法の中には神と人に関するものと、人と人に関する規定とがある。
 神を信じて、この律法に従えば、神との正しい関係を保ち、人と人に於いては平和を保ち、たとえ肉体は死んでも、人は永遠に神のもとで生きる事が出来る。これが永遠の命というものだ。
 ところが、人類のモデルであったイスラエルの民は不信仰に陥り、律法を血の通わない形式的なものとしてしまい、神不在の律法、掟とした。それによって永遠の命を頂けなくなってしまった。モデルがずっこけてしまったのだから、ましてや、他の民族をやである。

 そこで神は神の御子イエス・キリストを真のモデルとしてこの世に遣わし、御子のうちにご自身を表し、同時に御子によって、信仰に生きる模範を示し、神と共に生きる姿、即ち永遠の命を明らかにした。そしてキリストを信じる者も、神と共に生きる永遠の命を約束した。

 ※科学では再現が重要。しかし、スタップ細胞は論文に従ってやっても、だれも再現することは出来なかった。再現できないものは真実ではない。
 キリストは私たちに模範を示された。このキリストによって、私たちも永遠の命に生きることが再現されなければならない。再現されるためには私たちがイエス・キリストを信じて神に繋がり、そこから力を受けて、律法を行うことができるかどうかにかかっています。キリストを信じても神に対して、隣人に対して、その生き方が何も変わらないでは再現性はないということになる。再現性がないということはキリストは真実ではない、信じるに当たらないということになる。

 今日のところに、幼子のような者と言われた弟子たちとは対照的な、知恵があり、賢そうな律法の専門家が出てきます。彼には隠されていた。
10:25するとそこへ、ある律法学者が現れ、イエスを試みようとして言った、「先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。
10:26彼に言われた、「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」。
10:27彼は答えて言った、「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」。
10:28彼に言われた、「あなたの答は正しい。そのとおり行いなさい。そうすれば、いのちが得られる」。
10:29すると彼は自分の立場を弁護しよう(詳細聖書:非難を免れようと決意して)と思って、イエスに言った、「では、わたしの隣り人とはだれのことですか」。

 「何をしたら永遠の命を受け継ぐことが出来るか」と。彼は律法の専門家ですから、得意げに律法に照らして応えた。
 ※26.27節・・・・申命記6:5、あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。レビ記19:18あなたはあだを返してはならない。あなたの民の人々に恨みをいだいてはならない。あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない。わたしは主である。
 それを実行せよ、とイエスさまに云われた。わたしたちは自分の痛いところを指摘されると、攻撃的になったり、自分を弁護しようとする。
 この人の隣人理解は、彼の隣人とユダヤ人であった。彼は彼なりに愛している、守っていると思っていた。しかし、それなのにイエスさまはなおそれを実行せよ、という。自分では十分だと思っているのに、イエスさまが言われる隣人とは誰のことか、と不満げに云った。

10:30イエスが答えて言われた、「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中、強盗どもが彼を襲い、その着物をはぎ取り、傷を負わせ、半殺しにしたまま、逃げ去った。
10:31するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人を見ると、向こう側を通って行った。
10:32同様に、レビ人もこの場所にさしかかってきたが、彼を見ると向こう側を通って行った。
10:33ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、
10:34近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。
10:35翌日、デナリ二つを取り出して宿屋の主人に手渡し、『この人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、帰りがけに、わたしが支払います』と言った。

 肉親も及ばないような行き届いた介抱であった。ユダヤ人同士であってもここまですることはまれであろう。なのに、何ということか、普段敵対し、軽蔑していたサマリヤ人がユダヤ人へこれほどの親切、恩警を越えた愛を示した。

10:36この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」。
10:37彼が言った、「その人に慈悲深い行いをした人です」。そこでイエスは言われた、「
あなたも行って同じようにしなさい」。
 イエスさまは、この律法の専門家に「行って、あなたも同じようにしなさい」といわれた。私の助けを必要としている人は誰だろうか。

 ※国仲寛一牧師   賀川豊彦より、故郷宮古島ハンセン病病院、、南静園の実情をつぶさに聞き、弱き者への愛情をたぎらせた。戦後、一年した1946年12月に宮古島に帰り、宮古女子高校の校長に就任、校長をしながら、すぐにハンセン病の隔離病院へ伝道に行った。その激務から結核を患い1949年3月6日宮古島に帰って3年、正確には2年4ヶ月後、40歳の若さで天に召されたのです。
 国仲さんの生涯はイエス・キリストの生涯を彷彿させるものがあった。キリストを信じた国仲さんは、神に対して、隣人に対して、永遠の命を受け継ぐ者として生きることを再現した。私たちもキリストを信じ、永遠の命を実証し、再現しましょう。