『福音の使者への備え』 使徒変更録9章19b〜31章

 お坊さんから牧師になった人で、松岡宏和さんという方がいます。その著書の中でどのようにして牧師になったかを記しています。 
「私はただ人生の意味が知りたくて、僧侶の道を選び、仏教大学に入った。私は真理を求める気持ちに燃えていたので、ありとあらゆる仏教書を買いあさっては読み続けた。」
 しかし、松岡さんは学べば学ぶほど疑問がわいてきた。いったい、この中に、求めている真理があるのだろうか。大学院生になった時、交換留学生として韓国の仏教大学に行った。留学したとの年のクリスマスに、韓国で知り合った友人から、教会のクリスマスに一緒に行こうと誘われた。聖書を学ぶ内に、イエス・キリストこそ自分がもとめていたものだったということが分かった。
 そこで、松岡さんは僧侶を辞めることを決意した。迷いはなかったが、しかし、これを公にすることは、確かに勇気が要った。兎に角、日本に帰国して、家族にすげてを話さなければならなかった。しかし、家族の中でまともに受け止めてくれる人は誰もいなかった。母親はなどは「このバカが、又何か頭に血を上らせて、訳の分からないことを言っている、さっさと、いつものように、時間がたてばおさまるだろう」と思っていた。しかし、松岡さんは再び韓国に帰り、熱心に教会生活を続けた。それを聞いた母親はすぐに韓国に飛んできた。そこには母と共に、韓国の仏教大学の教授、世話になったお坊さんなど、そうそうたるメンバーが来て、思い直す様に説得された。いわく、お前は牧師にだまされている、目を覚ませ、と。しかし、松岡さんの決意は変わらなかった。その後、日本でサラリーマンをしながら夜間の神学校に3年行き、牧師となった。現在は埼玉県川口市にある、のぞみ教会の牧師をしている。

 サウロはイエスを迫害する者から、イエスをキリストと信じる者へと180度、劇的な回心をした。サウロにとっては、光の中でイエスに出会って、直接その言葉を聞いたこと、アナニアが来て手を置いて言った言葉、これらの事実は、その事実は誰がどう言おうと、揺るがないものであった。
@ サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいて、
09:20すぐあちこちの会堂で、「この人こそ神の子である」と、イエスのことを宣べ伝えた。
09:21これを聞いた人々は皆、非常に驚いて言った。「あれは、エルサレムでこの名を呼び求める者たちを滅ぼしていた男ではないか。また、ここへやって来たのも、彼らを縛り上げ、祭司長たちのところへ連行するためではなかったか。」
09:22しかし、サウロはますます力を得て、イエスがメシアであることを論証し、ダマスコに住んでいるユダヤ人をうろたえさせた。
 「数日間、ダマスコの弟子たちと共にいて
数日間とありますが、原語では幅がある言葉で、2.3日から数ヶ月という意味だそうです。そのことから、もっと長い期間と取る人もいる。そしてその間に、エルサレムに言ったり、アラビアに行ったりしたのではないかと。
 エルサレム行き、アラビア行きを著者のルカはここには記していませんが、パウロ自身が記している所があるのです。
☆ガラテヤ 01:16御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、わたしは、すぐ血肉に相談するようなことはせず、 01:17また、エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした。
 (このアラビアはサウジアラビアではなく今のヨルダンあたり、つまりダマスコの北からペトラあたりまで)何故、アラビアに行ったのか。退いたとあるから、行動派のパウロが人里離れた静かなところで、祈り、神の御心を問うたのではないか。イエス様が神の国を宣教する前に、荒れ野で40日の断食をし、悪魔の試みを受けたのに似ているかもしれません
 ※エルサレム行きのこと(使徒 22:14アナニアは言いました。『わたしたちの先祖の神が、あなたをお選びになった。それは、御心を悟らせ、あの正しい方に会わせて、その口からの声を聞かせるためです。 22:15あなたは、見聞きしたことについて、すべての人に対してその方の証人となる者だからです。 22:16今、何をためらっているのです。立ち上がりなさい。その方の名を唱え、洗礼を受けて罪を洗い清めなさい。』」 22:17「さて、わたしはエルサレムに帰って来て、神殿で祈っていたとき、我を忘れた状態になり、)

 エルサレムでの人々の拒否、アラビアでの試みの期間、苦闘お期間があった。そしてダマスコでサウロがイエスのことを宣べ伝える言葉は会堂に集まった人々には非常に驚かれた。しかし、サウロはますます力を得てイエスがメシアであると論証し、ユダヤ人たちをうろたえさせた。サウロの博学が先走り、愛が不足し、実りは少なかったのではなかったか。そういった状況がそれがどれだけ続いたでしょうか。

A09:23かなりの日数がたって、ユダヤ人はサウロを殺そうとたくらんだが、
09:24この陰謀はサウロの知るところとなった。しかし、ユダヤ人は彼を殺そうと、昼も夜も町の門で見張っていた。
09:25そこで、サウロの弟子たちは、夜の間に彼を連れ出し、籠に乗せて町の城壁づたいにつり降ろした。

 23節には「かなりの日数」がたって、とあるが、ガラテヤ書1章17.18節には「しれから三年後」と記されている。
ガラテヤ書01:17また、エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした。 01:18それから三年後、ケファと知り合いになろうとしてエルサレムに上り、十五日間彼のもとに滞在しましたが、
 サウロは3年間、ダマスコにいたのです。サウロがイエスがキリストであると語れば語るほどユダヤ人たちはサウロを憎み、多くのユダヤ人がサウロを殺そうと陰謀を企てるほどになっていた。ついにダマスコから逃げなくてはならなくなった。サウロにとっては大変悲しいことでした。自分の弱さを痛感したときでした。
☆コリントの信徒への手紙二・11:30誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう。 11:31主イエスの父である神、永遠にほめたたえられるべき方は、わたしが偽りを言っていないことをご存じです。 11:32ダマスコでアレタ王の代官が、わたしを捕らえようとして、ダマスコの人たちの町を見張っていたとき、 11:33わたしは、窓から籠で城壁づたいにつり降ろされて、彼の手を逃れたのでした。

B09:26サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子だとは信じないで恐れた。
09:27しかしバルナバは、サウロを連れて使徒たちのところへ案内し、サウロが旅の途中で主に出会い、主に語りかけられ、ダマスコでイエスの名によって大胆に宣教した次第を説明した。
09:28それで、サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の名によって恐れずに教えるようになった。
09:29また、ギリシア語を話すユダヤ人と語り、議論もしたが、彼らはサウロを殺そうとねらっていた。
09:30それを知った兄弟たちは、サウロを連れてカイサリアに下り、そこからタルソスへ出発させた。
09:31こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった。
 バルナバは「慰めの子」と呼ばれるだけあって、教会にとっては無くてはならない存在であった。バルナバのような取りなすことのできる真実な人になりたい者です。バルナバがいたからサウロは後のパウロとして偉大な働きができたとも言えます。
 サウロはタルソスで13年の長き月日、福音の備えの期間を過ごしことになります。
 こうしてサウロは福音の使者として準備期間、多くのことを学び、やがて福音の神髄、信仰による義を確立するのです。行い(律法)による義ではなく、キリストを信じる信仰による義です。 「ローマ03:21ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。 03:22すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。」

 サウロやお坊さんだった松岡さんがキリストを信じ、福音の使者とされるために準備されたように、私たちもまた福音の使者としての準備を神によってなされている。救いの喜びに満ちるとき、また弱さを覚えるとき、後退を余儀なくされるとき、周りに受け入れられなくて孤独になるとき、バルナバのような人に出会い、勇気と希望が与えられるときもある。しかし、それらすべてが、福音の使者としての備えであるならば、生涯が備えである、といえる。これで確立したなどとはとても言えない。福音の使者は大きな栄誉であるが、キリストの苦しみを共にすることでもある。
フィリピ 03:13兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、 03:14神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。