「大魚に呑み込まれた!」 ヨナ書 1章1節〜2章3節

2:1さて、主は巨大な魚に命じて、ヨナを呑み込ませられた。ヨナは三日三晩魚の腹の中にいた。
2:2ヨナは魚の腹の中から自分の神、主に祈りをささげて、2:3言った。
苦難の中で、わたしが叫ぶと
 主は答えてくださた。
陰府(ヨミ)の底から、助けを求めると・・・・・  わたしの声を聞いて下さった。
2:10救いは、主にこそある。
2:11主が命じられると、魚はヨナを陸地に吐き出した。

マタイ福音書 
12328すると、何人かの律法学者とファリサイ派の人々がイエスに、「先生、しるしを見せてください」と言った。12:39イエスはお答えになった。「よこしまで神に背いた時代の者達はしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。12:40つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる。

 ヨナ自身は紀元前8世紀のイスラエルの預言者でした。列王記下14:25に「預言者、アミタイの子ヨナ」として名前だけが出ている。
 ヨナ書の最もユニークな点は預言者ヨナが大きな魚に呑み込まれ、お腹の中に三日三晩いた、という点である。そしてまた、イエス様もこのことをマタイ福音書12:39-40で引用している。つまり、このことはエイス様の死と復活の予型でもあったということだ。それは700年前にすでに預言されていたのだ。マタイ12:39.40家合うはお答えになった。「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、与えられない。つまり、ヨナが三日実bん、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩大地の中にいることになる。
 1章1〜3節
 このヨナの時代というのは、イエス様の時から約7百年前アッシリア帝国が大きな力を持って世界を支配していた時代である。そのようなとき、主はヨナにニネベに行って、ニネベはアッシリア帝国の首都で人口12万人の大都市、その都に対する神の裁きと滅亡を預言するように言われた。ところがヨナはそれを拒み、反対の方角タルシシュ(スペイン方面)息の船に乗って逃げた。
 なぜ逃げたのか。
@恐ろしくなった。一人で行くわけですから、神の命令であっても怖じ気づいた。
A異邦人であった敵国に神の言葉を語る必要がないと思い、神に反抗した。
B神はニネベの裁き、滅亡を告げよ、といわれるが、結局、神は哀れみ深く、寛容な方だから、許されるに違いない。それなら私が裁きを告げる必要はない、と考えた。
 ※ヨナの理由は4章2節に記されている。ヨナ4:2彼は主に答えた。「ああ、主よ、わたしがまだ国にいましたとき、言ったとおりではありませんか。だから、わたしは先にタルシシュに向かって逃げたのです。わたしには、こうなることが分かっていました。あなたは、恵みと憐れみの神であり、忍耐深く、慈しみに富、災いをくだそうとしても思い直される方です。
 ヨハネの黙示録にはローマ帝国の滅亡が語られるいる。当時、ローマは繁栄をしており、ますます富と豊かさを追求し、贅沢な生活をし、おごり高ぶっていた。教会への迫害も強くなっていた。そのような中でヨハネはこのローマ帝国と皇帝を大バビロン、大淫婦、獣にたとえて、その上に神の裁きが必ず下り、滅亡することが告げられている。
 私たちの今の世界はどうだろうか?小さな私たちの存在意義は何であろうか。
 キリストを信じる信仰をしっかり持って、御言葉に生きることではないか。そこに神のみ業がなされるのである

 1章4〜15節
 逃げていくヨナに対して、神は大風を起こして災難に遭わせた。(1:4)
 ヨナの乗っていた船が沈みそうになった。人々はこの災難は誰のせいで降りかかってきたのか、くじ引きではっきりさせようとした。
 ※嵐、災難、不幸は誰かの罪のせい?
 ヨナは神の御手を覚え、その時初めて、自分の素性を明かし、神から逃げていることを白状した。そして、自分を海の中に放り込めば、海は静まり、穏やかになって皆は助かるだろう、この大嵐は私のせいであなたたちを見舞ったことは、私が知っている、すべては私の責任です、と言った。
 @神の言葉に背き、主から逃れようとした。 神に背
 A神からの嵐、死の危険            問題と苦悩
 B嵐の原因、誰か。罪の糾弾。        罪と罰
 C信仰の告白と懺悔               懺悔
 D罪の贖い。自らを捧げる           償い
 E種の救い。死して生きる           新しい出発(再出発)

 2章1〜3、11.12節
 自らを投げ出したヨナに対して、神は大魚に命じて、ヨナを飲み込ませられた。これで一巻の終わりか?ヨナも大魚の腹の中で解けて跡形もなくなってしまうだろうと思われた。ところがヨナはどうしたことか大魚の腹の中で三日三晩いて、主に祈りを捧げていた。そして主が命じられると、魚はヨナをはき出したのです。ヨナは死して生きた。復活した。
 ※アラスカ、カナダの先住民族、クリンギットの小学校での話です。
 クリンキッドの小さな女の子が、クジラのことで先生と言いあっていた。
「いくら大きい動物だからと言って、いいですか。身体の構造上、クジラが人間を飲み込むなんてことはありえないのよ、クジラの喉はとっても狭いんだから」と先生。
「でもヨナはクジラに飲み込まれたのよ」
 少女は、巨大な魚に飲み込まれたけれどその腹の中で三日三晩お祈りをあげたことで魚から吐き出された預言者ヨナについての旧約聖書のなかのお話を引き合いに出して反論した。先生は少しイライラして、クジラが人間をのみこむなどということはあり得ないと繰り返した。その身体の構造上、絶対に不可能だと。
クリンギットの少女はそれを聞くとこたえた。
「いいわ、天国に行ったら、わたしヨナに聞いてみるもの」
「ヨナがもし地獄に行っていたらどうするの?」
先生がやりかえすとその女の子はこたえた。
「その時は、先生が彼に聞いてみればいいでしょ」
 
 イエス・キリストは、これをご自分が墓に葬られ、三日目に復活することを現していることを明らかにした。そうであるなら、ヨナの話は信じるに値する神の真実が込められている物語ではないか。