「ささげる原点」 マタイによる福音書 2章10.11節

 1年の初め、元旦のこの日に、皆さんと共に礼拝をささげることが出来ることを感謝いたします。初物を送る、献げることは受ける側にとっては最も嬉しいことです。一年の初め、元旦の朝の時間を礼拝の為に取っておくということは、聖書の言葉で言えば「聖別する」、つまり神さまのために取っておく、世俗のものとは区別して、分けておく、ということです。何故そうするのか。それは教会が神さまを最も大切な存在として認めているから、そうするのです。
 例えば、畑で丹誠込めて作ったイチゴが出来、初めていくつか収穫した、とします。その初物をどうするでしょうか。作った人が一人で、ミルクをかけて一粒一粒満足そうに食べるでしょうか。それとも、最も大切な人にそれを食べてもらうために取っておくでしょうか。
 もし、神さまを最も大切な存在だと認めるなら、自分の最も大切なものを取っておいて献げるでしょう。しかし、そうしたいと思っても、私たちはしばしま、自分のことや、この世の多くのことに心を奪われ、本当に大切なものを後回しにしてしまったり、見失ってしまうことがあります。
 今日はどうしたら神さまを何より大切な存在として認め、自分の大切な物を献げ、神からの祝福を受けることが出来るかを考えていきましょう。

マタイ 02:10学者たちはその星を見て喜びにあふれた。 02:11家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。

@その星を見て、喜びにあふれた、ということは、その星は神の御子の誕生を知らせるもので、御子の栄光で光り輝いていたということです。
そして、その星の輝きを見た学者たちは喜びにあふれたのです。何故、星を見ただけで、喜びにあふれたのでしょうか。それはその星が御子の栄光の光で、恵みと真事に満ちた光だったからです。
 彼ら(マギ魔術師、星占い)は異邦人であり、神から遠く離れている人たちでした。そんな彼らが、この星を見て、自分たちにも神の恵みと真事が届けられている、ことに気づき、感動したから、喜びにあふれたのです。

Aそして、彼らは御子の御前にひれ伏し、礼拝をささげ、また宝物を献げたのです。
 ここに私たちの神への感謝を献げる根拠、原点がよく現されている。
 では、このことをもう少し詳しく(献げる根拠、原点について)見ていきましょう。
その星を見た=御子の栄光を見た、ということです。
 イエス様はご自分のことを(黙示録22:16)「輝く明けの明星(金星)」である、といわれた。また「、この様にも言われた。(黙示録2:28)「・・・・・勝利を得る者に、わたしも明けの明星を与える」
 輝く星は御子イエス様御自身であり、その栄光を現しています。神は輝く星である御子の栄光を私たちにも与えるといわれたのです。そのために御子はこの世に降り人間の姿となって私たちの中に住まわれたのです。
 では、御子の栄光とは何か。
 御子の栄光=神の恵みと真実に満ちた姿です。
 使徒ヨハネはそのことを次のように証ししている「言は肉となって私達の間に宿られた。私たちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みとまこととに満ちていた。」 
 ヨハネはその栄光を見た、というのです。弟子として、イエス様の生涯、特に十字架と復活を通して、恵みと真事に満ちた神を見た、ということでしょう。御子の栄光は神の恵みと真事に満ちていたのです。
 具体的には、まず神の御子イエス・キリストの恵みは、罪に苦しむ者を深く憐れんで、救うために、自らの命を捧げたという所にあります。
 また、イエス・キリストの恵みは、様々ながらではなく、仕方なくでもなく、その命を惜しまず、進んで与え尽くしたという所にあります。

 真心から、私達を救わんがために、神は御子の命まで惜しまず献げて下さった。ここに神の恵みと真事があります。まず、神が御子をさえ惜しますにあたえて下さったのです。それを知れば知るほど、私たちは喜びにあふれ、御前にひれ伏し、自分の最も大切な宝物を献げたと思う様になるのです。

 具体的にはどうればいいのか? では、こう思ったらどうでしょうか。
※神は私たち一人を救うために、御子を十字架につけて下さった、御子の命さえあたえて下さった、それ程まで、私は神にとって大切な、大切な存在なんだ、高価で尊い存在であるということを、いつも自分に言い聞かせてみてはとうでしょうか。このことは、決して嘘偽りではありません。本当のことです。確実なことです。真実なことだからです。

※テニスの錦織圭選手
どうしてそんなに強くなったか。チャンコーチは何をしたのか。彼が錦織選手にしたことはBelieve yourself 自分自身を信じなさい、自分を信じろ、という言葉を毎日5回言っただけでした。
 私は皆さんと自分にいいたい。神の恵みと真事を信じなさい!と
Believe in God's grace and truth !
 
私はチャンコーチのようにこれを一日に5回皆さんにいうことは出来ません。どうか自分で自分に言ってみて下さい。
 私達は自分を信じることの出来る実力も、愛も持ち合わせていません。しかし、神はそんな私たちを、何よりも大切な、価値ある者と見なして下さっている。あなたは御子を賜るほど、神に愛されている。何度、失敗しようが、落ち込もうが、この神の恵みと真事は変わることはない。神はあなたをどんな時も見捨てない。あなたは神に愛されている。

 学者たちは礼拝をささげ、宝物をささげた。ヨハネはその生涯をささげた。彼らはそれを惜しまず、喜びにあふれてささてたのです。それは御子の栄光を見たからです。その恵みと真事にふれたからです。そのとき心から、すすんでささげたのです。これが献げる原点です。

 私たちも御子の栄光を見て、神の恵みと真事にふれ、喜んで、そして進んで大切なものを神に捧げる祝福を与えられましょう。
 これは自分だけを愛する利己主義から解放される道でもある。他者のめに、誰かのために具体的に祈る一年としましょう。
 誰が何といおうと、あなたは間違いなく神に愛されています。