「パウロによる福音の宣言」 使徒言行録13章13〜41節

 ベルゲからアンティオキアまでは約200q内陸に、アンティオキアは標高千bの高地。原住民、ギリシャ人、ローマの植民のほか、ここアンティオキアにはローマ領となるまえからかなりのユダヤ人が住み着いていたらしく、ユダヤ教の会堂があった。

13:13パウロとその一行は、パフォスから船出してパンフィリア州のペルゲに来たが、ヨハネは一行と別れてエルサレムに帰ってしまった。
13:14パウロとバルナバはペルゲから進んで、ピシディア州のアンティオキアに到着した。そして、安息日に会堂に入って席に着いた。
13:15律法と預言者の書が朗読された後、会堂長たちが人をよこして、「兄弟たち、何か会衆のために励ましのお言葉があれば、話してください」と言わせた。

 会堂長(会堂責任者:牧師)がわざわざ人をパウロとバルナバのところに人をよこして、何か会衆に励ましの言葉を話して下さい、と言わせた。今日、初めて来た何も知らない人にそう言うだろうか。
 会堂長はパウロの噂をすでに聞いていたのだろうか。このアンティオキアからパウロの故郷タルソまでは直線距離で約400qかなり離れているが、当時、内陸の交易ルートがタルソとアンティオキア、そしてエフェソまであったので、ユダヤ人たちの間ではパウロのことは知れ渡っていた可能性の方が大きい。

パウロの奨励
 @13:17〜22

13:16そこで、パウロは立ち上がり、手で人々を制して言った。「イスラエルの人たち、ならびに神を畏れる方々、聞いてください。
13:17この民イスラエルの神は、わたしたちの先祖を選び出し、民がエジプトの地に住んでいる間に、これを強大なものとし、高く上げた御腕をもってそこから導き出してくださいました。
13:18神はおよそ四十年の間、荒れ野で彼らの行いを耐え忍び、
13:19カナンの地では七つの民族を滅ぼし、その土地を彼らに相続させてくださったのです。
13:20これは、約四百五十年にわたることでした。その後、神は預言者サムエルの時代まで、裁く者たちを任命なさいました。
13:21後に人々が王を求めたので、神は四十年の間、ベニヤミン族の者で、キシュの子サウルをお与えになり、
13:22それからまた、サウルを退けてダビデを王の位につけ、彼について次のように宣言なさいました。『わたしは、エッサイの子でわたしの心に適う者、ダビデ(永遠のダビデ=メシア)を見いだした。彼はわたしの思うところをすべて行う。』
(サムエル記下07:12あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。 )
 パウロは会衆にどんな人とが来ているのか、知っていた。ユダヤ人会堂ではタルソでも同じであった。今でも何度か話していた話であったかもしれない
。かつて、パウロも聞いていたステファノの演説(使徒7章)に似ている。共通していることは、まず、丁寧な挨拶からはじめている。そして、ユダヤ人皆が尊敬し、良く知っているアブラハムから初めてモーセ、ダビデ王について話している。彼らは自分自身がメシア、キリストの姿を現している。彼らははがて来る約束のメシア、イエスを指し示していた。

 A13:23〜37 ダビデ王への祝福の約束はナザレのイエスの中に成就した
13:23神は約束に従って、このダビデの子孫からイスラエルに救い主イエスを送ってくださったのです。
13:24ヨハネは、イエスがおいでになる前に、イスラエルの民全体に悔い改めの洗礼を宣べ伝えました。
13:25その生涯を終えようとするとき、ヨハネはこう言いました。『わたしを何者だと思っているのか。わたしは、あなたたちが期待しているような者ではない。その方はわたしの後から来られるが、わたしはその足の履物をお脱がせする値打ちもない。』
13:26兄弟たち、アブラハムの子孫の方々、ならびにあなたがたの中にいて神を畏れる人たち、この救いの言葉はわたしたちに送られました。13:27エルサレムに住む人々やその指導者たちは、イエスを認めず、また、安息日ごとに読まれる預言者の言葉を理解せず、イエスを罪に定めることによって、その言葉を実現させたのです。

13:28そして、死に当たる理由は何も見いだせなかったのに、イエスを死刑にするようにとピラトに求めました。
13:29こうして、イエスについて書かれていることがすべて実現した後、人々はイエスを木から降ろし、墓に葬りました。
13:30しかし、神はイエスを死者の中から復活させてくださったのです。
13:31このイエスは、御自分と一緒にガリラヤからエルサレムに上った人々に、幾日にもわたって姿を現されました。その人たちは、今、民に対してイエスの証人となっています。
13:32わたしたちも、先祖に与えられた約束について、あなたがたに福音を告げ知らせています。
13:33つまり、神はイエスを復活させて、わたしたち子孫のためにその約束を果たしてくださったのです。それは詩編の第二編にも、
『あなたはわたしの子、わたしは今日あなたを産んだ』と書いてあるとおりです。
13:34また、イエスを死者の中から復活させ、もはや朽ち果てることがないようになさったことについては、『わたしは、ダビデに約束した
聖なる、確かな祝福をあなたたちに与える』と言っておられます。
13:35ですから、ほかの個所にも、『あなたは、あなたの聖なる者を朽ち果てるままにしてはおかれない』と言われています。
13:36ダビデは、彼の時代に神の計画に仕えた後、眠りについて、祖先の列に加えられ、朽ち果てました。
13:37しかし、神が復活させたこの方は、朽ち果てることがなかったのです。

 (以下はペトロの最初の説教に似ている。ペンテコステ)
 ナザレのイエスこそ神が旧約からずっと約束して下さった真のメシアである。

 B13:38〜41 ここからがパウロの独自の福音の宣言
13:38だから、兄弟たち、知っていただきたい。この方による罪の赦しが告げ知らされ、また、あなたがたがモーセの律法では義とされえなかったのに、 13:39信じる者は皆、この方によって義とされるのです。
13:40それで、預言者の書に言われていることが起こらないように、警戒しなさい。
13:41『見よ、侮る者よ、驚け。滅び去れ。わたしは、お前たちの時代に一つの事を行う。人が詳しく説明しても、お前たちにはとうてい信じられない事を。』」

 モーセの律法では義とされない。どんなに律法を熱心に行っても、罪は亡くならない。大峰山の修験者が厳しい修行をしてますが、修行を積めば積むほど、罪が清められ、最終的には悟りの境地に入り、罪(煩悩)が無くなるのだろうか。これは日本人だけでなくユダヤ人の中にでも厳しく掟を守り、自分の身を打ち叩いてでも従わせようとした人物がいた。他でもなくパウロ自身でした。彼は「それでは義とされない。罪は無くならない。そればかりか、むさぼるなと言われれば言われるほど、あらゆる種類のむさぼりが起こってきた(ローマ 07:07では、どういうことになるのか。律法は罪であろうか。決してそうではない。しかし、律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったでしょう。たとえば、律法が「むさぼるな」と言わなかったら、わたしはむさぼりを知らなかったでしょう。 07:08ところが、罪は掟によって機会を得、あらゆる種類のむさぼりをわたしの内に起こしました。律法がなければ罪は死んでいるのです。)律法を実行することによっては、誰一人神の前に義とされない、律法によっては、罪の自覚しか生じない。」と告白している。さらに次のように言う、
 ただ、イエス・キリストによる罪の赦しを信じる者は皆、この方によって義とされるのである。このことはユダヤ人だけでなく異邦人も全ての人に与えられる神の恵みである。
 「福音はユダヤ人をはじめ、ギリシャ人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。」(ローマ1:16)

 「神は一つのことを行う」
 イエスの誕生が、神のなさった一つのことなのである。私たちにとって最も大切なことは、私たちが真理を熱心に探求することかと言うことではない。「私たちのために神がして下さったひとつの出来事に気づき、それを信じる事である。私のために神がその独り子を送り、十字架につけて、私の罪の贖いがなされた。もう私の罪はあがなわれた。私の罪は赦されたのだ。それを知って、その恵みを感謝することである。」