「神の選び」 創世記25章19〜23節

 神は私たちの思いを遙かに超えて、その偉大な救いのご計画の実現のために様々な人を選び、用いられるのです。
 使徒パウロは自分が神の器として選ばれたことを述懐してこう言っています。ガラテヤ1:15「母の胎内にあるときから、選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、1:16御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされた。」

 この「神の選び」についてヤコブとエサウの誕生から見ていきましょう。
創世記25:19アブラハムの息子イサクの系図は次のとおりである。アブラハムにはイサクが生まれた。
25:20イサクは、リベカと結婚したとき四十歳であった。リベカは、パダン・アラムのアラム人ベトエルの娘で、アラム人ラバンの妹であった。 25:21イサクは、妻に子供ができなかったので、妻のために主に祈った。その祈りは主に聞き入れられ、妻リベカは身ごもった。

 イサクは、神は必ず父アブラハムへの祝福の約束(子孫を星のように増やす。カナンの土地を与える)を自分を通して実現してくれる、と信じていたであろう。しかし、妻リベカはそうではなかった。結婚して20年近くも子どもが出来ないことで苦しみ、悩んでいたでしょうか。心優しいイサクはそんな妻リベカのために主に祈った。
 神さまは約束を忘れたのではなく、惜しんでいたのでもない。神には偉大なご計画があった。それは人の知恵や力(肉)、行いによらず、信仰(神の霊)によって全ての人を救うことです。
ローマ9章11.15
それは、自由な選びによる神の計画が人の行いにはよらず、お召しになる方によって進められるためでした。これは、人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるものなのです。
 偉大な救いのご計画の実現のために、神は人の信仰を呼び起こし、その人が祈り求めるように導かれる。神はイサクを祈りの人にすべく、この20年間彼ら夫婦に子を与えなかったのです。
 
 夫イサクの祈りが聞かれ、妻リベカは身ごもった。
25:22ところが、胎内で子供たちが押し合うので、リベカは、「これでは、わたしはどうなるのでしょう」と言って、主の御心を尋ねるために出かけた。
 リベカの体内で子ども達が押し合っていた。何か、ケンカでもしているようであった。リベカは不安になり、一人、主の御心を尋ねるために出かけた。祈るために静かなところに行った。リベカも又主に祈った。

25:23主は彼女に言われた。「二つの国民があなたの胎内に宿っており二つの民があなたの腹の内で分かれ争っている。一つの民が他の民より強くなり兄が弟に仕えるようになる。」
  この双子の兄弟については、「兄は弟に仕える」ことが、生まれる前からすでに決まっていた。これを運命ととるか、特別な神の選び、使命ととるか、大きな違いである。

ローマの信徒への手紙9章
09:10それだけではなく、リベカが、一人の人、つまりわたしたちの父イサクによって身ごもった場合にも、同じことが言えます。
09:11-12 その子供たちがまだ生まれもせず、善いことも悪いこともしていないのに、「兄は弟に仕えるであろう」とリベカに告げられました。それは、自由な選びによる神の計画が人の行いにはよらず、お召しになる方によって進められるためでした。
09:12 09:13「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ(
マラキ書1:2.3)」と書いてあるとおりです。
09:14では、どういうことになるのか。神に不義があるのか。決してそうではない。
09:15神はモーセに、「わたしは自分が憐れもうと思う者を憐れみ、慈しもうと思う者を慈しむ」と言っておられます。
09:16従って、これは、人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるものです。
09:17聖書にはファラオについて、「わたしがあなたを立てたのは、あなたによってわたしの力を現し、わたしの名を全世界に告げ知らせるためである」と書いてあります。

パウロのように良き器として選ばれるなら、使命として受け止められるが、ファラオのように神への反対者として選ばれるなら、とてもそれを全世界に神の力を告げ知らせる使命とは考えられない。
 何が恵みか、何が憐れみか?神の独善と横暴、権力の乱用ではないのか?例えば、父親が自分の思うように家族を支配し、自分の名声と富、欲望のために家族を奴隷のように働かせたら、横暴、権力の乱用である、と思うだろう。そうではなく、父親が家族の繁栄のために家族一人一人に役割分担し、目的達成のために適材適所に用い、自分はしっかりと全体を見通し、その全ての責任を父親が負い、命がけで皆を守ろうとする。そんな父親なら、汚い、嫌な役割でも信頼して従おうとするでしょう。
 神は完全な方、全知全能なかたです。それだけでなく、主エイス様の十字架によって、私たちの一切の罪を負って、罪を贖い、罪の赦しを完全に成し遂げ、神の愛を現して下さいました。私たちが神を全く知らない前からすでに、私たちを救うために御子の命を投げ出して救いを備えて下さっていた。
ローマ05:06実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。
05:07正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。
05:08しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。

 神はこれほどの愛を持って弱い罪人の私たち一人一人を選び、憐れみの器として用いようとして下さるのです。
 
 父イサクはエサウを愛し、母リベカはヤコブを愛した。人間は肉によって選ぶが、神の選びは人間の肉(行い)によらない。神はかえって、罪多き者、なきに等しい者を選ばれ、御自身の栄光を現そうとされるのです。
 神の恵みは弱いところにこそ十分に現されるのです。神の選びは私たちの思いを遙かに超えて深く、完全で、愛に満ちたものです。信じて従おう。

マラキ書1章01:01託宣。マラキによってイスラエルに臨んだ主の言葉
01:02わたしはあなたたちを愛してきたと主は言われる。しかし、あなたたちは言うどのように愛を示してくださったのか、と。エサウはヤコブの兄ではないかと主は言われる。しかし、わたしはヤコブを愛し
01:03エサウを憎んだ。わたしは彼の山を荒廃させ彼の嗣業を荒れ野のジャッカルのものとした。