「神から受けた福音を語る」 使徒言行録22章3〜21節

 (序)エフェソソから来たユダヤ主義者達が、パウロが神殿の中に異邦人を連れ込んで聖なる場所を汚したという事実無根の罪をでっち上げ、民衆を扇動してパウロに暴行を加え、袋だたきにした。パウロは、恐らく服は破れ、顔は腫れ、鼻血を流し、意識も定かでないような中で、慣れたギリシャ語ではなく、母国語ヘブライ語で民衆に親しく話し始めた。とても考えられないことだ。いや、神がパウロに力を与えた、といえる。その第一声が、22:01「兄弟であり父である皆さん、これから申し上げる弁明を聞いて下さい。」であった。
 弁明とは、私はそのような罪を犯していないとか、それは事実とは違う、などといったことを言うことです。しかし、パウロはこの時、そのようなことは一言も言わなかった。また、神学的なことも一切、話さなかった。話したことはただ、25年前の回心のことだった。自分がキリストを信じた「証し」であった。

1.自分は何物か(22:3〜5)
22:03「わたしは、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていました。
22:04わたしはこの道を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえしたのです。
22:05このことについては、大祭司も長老会全体も、わたしのために証言してくれます。実は、この人たちからダマスコにいる同志にあてた手紙までもらい、その地にいる者たちを縛り上げ、エルサレムへ連行して処罰するために出かけて行ったのです。」


 自分達こそ正しい。絶対だという確信の強さ、熱心さは往々にして、他の存在を認めない、許せない。認めないばかりか、攻撃し、力で排除し、抹殺しようとさえする。
 現在でも宗教間の争い。あるいは、キリスト教徒と言われているものの中でも、同じ教派の中でも。夫婦間でも。その原因は、自分こそは正という人間の高慢、傲慢な罪である。
 どうしたら、自分の間違いに気が付くか、法律か、律法か、戒めか。事実な方、キリストの光に照らされて初めて、自分の正しい姿を知る。如何に傲慢か、罪多い者であるかが分かる。そして十字架によるキリストの赦しが望むところに真の一致が生まれる。(エフェソ:02:14実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、 02:15規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、 02:16十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。 02:17キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。 02:18それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。)

2.どのようにしてイエス・キリストに出会ったか(22:6〜11)
22:06「旅を続けてダマスコに近づいたときのこと、真昼ごろ、突然、天から強い光がわたしの周りを照らしました。
22:07わたしは地面に倒れ、『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』と言う声を聞いたのです。
22:08『主よ、あなたはどなたですか』と尋ねると、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである』と答えがありました。
22:09一緒にいた人々は、その光は見たのですが、わたしに話しかけた方の声は聞きませんでした。
22:10『主よ、どうしたらよいでしょうか』と申しますと、主は、『立ち上がってダマスコへ行け。しなければならないことは、すべてそこで知らされる』と言われました。 22:11わたしは、その光の輝きのために目が見えなくなっていましたので、一緒にいた人たちに手を引かれて、ダマスコに入りました。

 伴の物も一緒にいたが、彼らは光を見たが、声は聞こえなかった。
 天からの声
 パウロのこの経験を聞いて民衆はどう思っただろうか。そんな夢のようなことはばかげた話だ、と思っただろうか。天から光に照らされる、ということは旧約聖書に載っているだろうか
※イザヤ書(08:23今、苦悩の中にある人々には逃れるすべがない。先にゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが後には、海沿いの道、ヨルダン川のかなた異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。) (マタイ04:16暗闇に住む民(ガリラヤ)は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」)
※ダニエル 11:05このうち、南の王となった者は強くなるが、将軍の一人が王をしのぐ権力を取り、大いに支配する。 11:06何年か後、二国は和睦し、南の王の娘は北の王に嫁ぎ、両国の友好を図る。だが、彼女は十分な支持を得ず、その子孫も力を持たない。やがて、彼女も、供の者も、彼女の子らも、その支持者らも裏切られる。 11:07だが、彼女の実家から一つの芽が出て支配の座に着き、北の王の城塞に攻め入ってこれを破り、勝利を得る。
 ユダヤ人は私達以上に理解できたのではないか。パウロはその当たりのことを踏まえてこの話をしたものと思われる。
 今、私達はどのような光に照らされているだろうか。あまりにも人口の、為の光が多い中で、真の神の光に照らされる心を失っているのではないだろうか。
 天からの声
 パウロだけがそれを聞き分ける事が出来たのか?同じ話を聞いても、深く入っていく人と、馬の耳に念仏の人もいる※ヨハネ 12:28父よ、御名の栄光を現してください。」すると、天から声が聞こえた。「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう。」 12:29そばにいた群衆は、これを聞いて、「雷が鳴った」と言い、ほかの者たちは「天使がこの人に話しかけたのだ」と言った。 12:30イエスは答えて言われた。「この声が聞こえたのは、わたしのためではなく、あなたがたのためだ。 12:31今こそ、この世が裁かれる時。今、この世の支配者が追放される。 12:32わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」 12:33イエスは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、こう言われたのである。 12:34すると、群衆は言葉を返した。「わたしたちは律法によって、メシアは永遠にいつもおられると聞いていました。それなのに、人の子は上げられなければならない、とどうして言われるのですか。その『人の子』とはだれのことですか。」 12:35イエスは言われた。「光は、いましばらく、あなたがたの間にある。暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。暗闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない。 12:36光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。」イエスはこれらのことを話してから、立ち去って彼らから身を隠された。 12:37このように多くのしるしを彼らの目の前で行われたが、彼らはイエスを信じなかった。

 3.どのようにしてイエス・キリストを信じ、バプテスマを受けたか。(22:1216〜)
22:12ダマスコにはアナニアという人がいました。律法に従って生活する信仰深い人で、そこに住んでいるすべてのユダヤ人の中で評判の良い人でした。
22:13この人がわたしのところに来て、そばに立ってこう言いました。『兄弟サウル、元どおり見えるようになりなさい。』するとそのとき、わたしはその人が見えるようになったのです。
22:14アナニアは言いました。『わたしたちの先祖の神が、あなたをお選びになった。それは、御心を悟らせ、あの正しい方に会わせて、その口からの声を聞かせるためです。
22:15あなたは、見聞きしたことについて、すべての人に対してその方の証人となる者だからです。
22:16今、何をためらっているのです。立ち上がりなさい。その方の名を唱え、洗礼を受けて罪を洗い清めなさい。』」

 神はユダヤ人全般に評判の良い人アナニアを選び、予め幻の中でパウロのことを知らせた。そして、彼の所に行き、目が見えるように祈ってやるように。アナニアは恐れながらもパウロの所に行き、ナザレのイエスの名によってバプテスマを受け、罪を赦して頂きなさい、と福音を伝えた。

 4.何故、異邦人への伝道者になったか(22:17〜21)
22:17「さて、わたしはエルサレムに帰って来て、神殿で祈っていたとき、我を忘れた状態になり、
22:18主にお会いしたのです。主は言われました。『急げ。すぐエルサレムから出て行け。わたしについてあなたが証しすることを、人々が受け入れないからである。』 22:19わたしは申しました。『主よ、わたしが会堂から会堂へと回って、あなたを信じる者を投獄したり、鞭で打ちたたいたりしていたことを、この人々は知っています。 22:20また、あなたの証人ステファノの血が流されたとき、わたしもその場にいてそれに賛成し、彼を殺す者たちの上着の番もしたのです。』
22:21すると、主は言われました。『行け。わたしがあなたを遠く異邦人のために遣わすのだ。』」
 パウロはイエス様の御言葉に従って異邦人に福音を伝えて来た。しかし、あばたがたにも是非、聞いて頂きたい。最後にパウロはこう言ったのではないだろうか。あなた方の中に罪を示され、悔い改めて、神に立ち返りたいと思う者がいるなら、22:16今、何をためらっているのです。立ち上がりなさい。その方の名を唱え、洗礼を受けて罪を洗い清めなさい。』」と。

 しかし、人々は声を張り上げ「こんな男は、地上から除いてしまえ、生かしてはおけない。」ステファノの時もそうであったが、激しく反対する人々の中に、かつてのパウロがいた。彼の目に、その耳にステファノの輝いた姿、祈りの声が焼き付いていた。同じようにパウロの魂からの叫びの声は彼らに届いていたのではないだろうか。パウロはボロボロにされながら、その祈りが叶い、福音を伝えることが出来たのである。

 イエス・キリストに繋がるなら、あなたや私の祈りも神に届き、豊かに実を実らすことが出来る。神のみ業がその上に現され、神の栄光を拝することが出来るのである。主にシッカリと繋がり、周りの人の救い、癒しの為に、真剣に祈って、福音を伝えましょう。












22:22パウロの話をここまで聞いた人々は、声を張り上げて言った。「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしてはおけない。」
22:23彼らがわめき立てて上着を投げつけ、砂埃を空中にまき散らすほどだったので、