「キリストのバプテスマ・聖霊と火」 ルカによる福音書3章1〜18節

 荒れ野でヨハネに神の言葉が降った。人々は続々とヨハネのもとに来た。ヨハネは叫んだ「神の裁きの時は近づいた。今こそ、罪を悔い改め、神に立ち帰れ!私の後に来る方こそ、罪を全く清めて下さるメシアだ。」
 民衆は現指導者達に不満を持ち、将来に希望が持てない閉塞感があったのであろう。そのような現状を打破してくれる力強いリーダー、メシア、そして神の言葉に飢え渇いていた。
 指導者達は国民そっちのけで自分達の保身に明け暮れていた。汚職、賄賂、不正がはびこっていた。今の世界に、日本に似ている。
 ヨハネは指導者達の偽善を見抜いて「まむしの子らよ。・・・悔い改めにふさわしい実を結べ。」と非常に激しい言葉で非難した。その中でも心ある人たちもいた。「では、私達はどうしたらいいのですか」と問うた。
 ヨハネは「下着を二枚もとっている人は、一枚も持っていない人に分けてやれ。食べ物も同じようにせよ。」
 徴税人も尋ねた。ヨハネは穏やかに「限定以上のものを取り立てるな。」
 兵士も尋ねた。ヨハネは「誰からも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ。」
  3:21節、彼らはそう決心して、神に立ち帰ろうとしてヨハネから水でバプテスマを受けた
 ルカ7:29「徴税人さえもそのバプテスマを受け、神の正しさを認めた。
    7:30しかし、ファリサイ派の人々や律法の専門家達は彼からバプテスマを受けないで、自分に対する神の御心を拒んだ

 ※もしこれらが社会全般で実行されればたちまち世の中から貧困はなくなる。汚職も、賄賂も、不正もなくなる。しかし、2千年来、その実現からはほど遠い。それでも、地の塩、世の光としての教会の存在は大きい。

 ヨハネは集まってきた人たちに向かってこう言った。16節「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼(バプテスマ)をお授けになる。
 ヨハネは自分はメシアではない。私の後から来られる方がそうだ、とメシアを指し示したのです。
  洗礼(バプテスマ)
 ここに「洗礼」という言葉が出ています。上に「バプテスマ」とルビがふっています。ギリシャ語の原典に即してふりがなをふっています。この言葉に注目してみたいと思います。
 ヨハネは、自分は水でバプテスマを授けるが、後から来られる方は聖霊と火でバプテスマを授ける、と言っている。
 バプテスマの意味は「浸し、浸すこと、漬けること」です。
 ヨハネのもとに来て、悔い改めた人をヨルダン川の水に全身を浸したのです。
原文:イタデ バプティゾー=水に  浸す
そのことで、このヨハネをバプテスマ(浸者)のヨハネと呼んでいるのです。

 ヨハネからバプテスマを受けた時、彼らは新たな思いで心を入れ替えて神の前に真面目に、正しく生きようと決心したのでしょう。それも大切なことだが、それだけでは本当に、根本から罪は清くならない。それは表面的であり、一時的清めであり、あくまで人間の決意である。ヨハネは人間の決意、決心がいかにもろく、弱いものであるか、人間の限界、罪深さを知っていた。三日坊主と言う言葉もあるように、すぐに挫折してしまう。特に罪の問題は人間の手に負えない。
 ヨハネ自身も自分の限度、限界を知っていた。後は本当に、完全に根っこから罪を清め、ゆるすことが出来る方、その方を紹介すること、それが自分の使命であることを自覚していた。
 その方こそメシア(キリスト)であり、自分はその方の靴の紐を解く値打ちもない。下足番にも当たらない。その方は「聖霊と火」でバプテスマを授ける。これはどういうことでしょうか。
 (浸す  中に  霊  聖なる  と  火)
意味:聖なる霊と火の中に浸す
 漬け物に例えば、ぬか床に大根を漬け込むとやがてその味が中までしみ込みタクアンになる。粕漬けなら奈良漬けのような味になる。
 聖霊の中に漬け込まれるとやがて聖なる霊と同じように成っていく。それは自分で頑張らなくて良い。知らないうちに神の側でそのようして下さる。キリストを信じてバプテスマを受けるということはそういうことです。
 私達がなすことはただ福音(キリストによる救いの御業)を信じ、神を信頼してゆだねていくことです。

3:16節【織田昭訳】「私がやっているのはせいぜい“水漬け”とでも言おうか・・・丸ごと水にザブリと漬けるだけだ。だが私と比べられない力を持つ方が私の後から来られる。その方がなさるのは、ケチな“水漬け”などではない。その方は“神御自身の息吹”で君たちを“漬け込む”のだ。その命の力は燃える炎の激しさで人を捉える!」

 パウロはバプテスマの意義をローマ書6章に記しています。
06:03それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。
06:04わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。 06:05もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。 06:06わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。
06:11このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。
 
 キリストのバプテスマは聖霊と火によるバプテスマです。聖霊の中に浸されているのです。聖霊漬けにされているのですから、希望と期待を持って主がなされる御業を信じていきましょう。
 ※付録:バプテスマの方法「滴礼と浸礼」


03:01皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、
03:02アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。
03:03そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。
03:04これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。
03:05谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、
0306人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」
03:07そこでヨハネは、洗礼を授けてもらおうとして出て来た群衆に言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。
03:08悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。
03:09斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」
03:10そこで群衆は、「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。
03:11ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。
03:12徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。
03:13ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。
03:13兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。
03:14ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。
03:15民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。
03:16そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。
03:18そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。