「本当にあなたは神のこです」 マタイによる福音書14章22〜33節

 14章12〜「五つのばんと二匹の魚で五千人を養う」22節から「イエス様が湖の上を歩き、波風を治めた」、この二つの出来事について、自分の頭でどう考えても、また経験から言っても、そんなことはありえない、と思う。それは空想か漫画の世界としか思えない出来事です。
 しかし、福音書の記者マタイはこれを大まじめに、しかも自分が見たこと、経験したこととして書いている。是非その真実を知って欲しいこととして書いている。
 これらのことが何故それ程大事なことなのか。
 私たちの生活で食べ物とは大切なことです。神に従ってくる者を神は決して飢えさせることはされない。必ず、必要なものを与えて養って下さる。更に、大切な命のパンへと導き生かして下さる。

 続いてマタイは、イエス様が水の上を歩き、湖の波風を静められた記事を載せている。船に乗って湖にこぎ出すことは、私たちがこの世に出て行くことである。その時、様々な問題にぶつかり、悩まされる。自分の力ではどうにもならない難問、自然の猛威、得体の知れない恐怖、命の危険を覚えるような激しい大波が襲ってくることもある。神が共におられるなら、この世のどんな波風も必ず静めてくださる。

 二つの記事を通して、イエスの内に偉大な神が共におられ、偉大な神の御業をなしておられることを教えているのです。
 「本当に、あなたは神の子です。」この信仰告白へと私たちを招いている。

14:22それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。
 「強いて」おいうことは弟子たちはそうするつもりはなかった。そうしたくなかった。しかし、イエス様がそう言われるのなら、ということで、従った。
 「可愛い子には旅をさせよ」という諺がある。
 イエス様はパンの奇跡で、弟子たちは自分の本当の姿が分かっていないと判断して、すぐに弟子たちだけを強いて向こう岸にやった。

 イエス様は一人で弟子たちのために祈った。
14:23群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。
14:24ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていた。
 「逆風」「なやまされていた」人生には順調もあれば、逆風の時もある。逆風の時とはどんな時だろうか。受験に失敗したとき、仕事でうまく行かないとき。焦れば焦るほど、泥沼にはまっていく。然し、夜明けは必ず来る。諦めないで主の助けをじっと待ち望む。

14:25夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。
14:26弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。
 
「夜明け頃」
 弟子たちはこぎ疲れて、疲労困憊していた。
 「幽霊だ」恐怖のあまり叫び声を上げた。
 何故、それ程怖かったのか。彼らは漁師。この嵐の中で、命の危険を感じていたのだろうか。いよいよ、死の使いが近づいてきたかのように恐れたのでしょうか。
 私たちはこの世という薄暗い湖にこぎ出している小舟のようなものである。繰り返し襲って来るこの世の荒波、様々な試練にこぎ疲れ、悩み、恐れ戸惑い、光を見いだせないことがある。自信を失い、希望を失う。自分も人も神も信じられなくなる。疑心暗鬼になる。

14:27イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」
 「安心しなさい。わたしだ。」
 「すぐ話しかけられた」神は一刻も早く助けの手を伸べようとされる。
 「わたしだ。」(エゴー、エミ):わたしはある。わたしはあってあるものだ。初めからあり、おわりまである。どんな時もある。

14:28すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」
 それでもペトロは半信半疑、目をこするか。顔をつねってみるか、本当にイエス様か?信じられない。それなら、一つ試してみよう。「もし、あなたなら・・・・」

14:29イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。
14:30しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。

 ペトロは私たちの姿でもあります。イエス様を信じていこうとするのですが、繰り返し襲ってくる不安、現実の問題に目が行き、信じ切れない。ああ、もうダメだ、とうとたえてしまう。それでも「主よ、助けて下さい。」と叫ぶ

14:31イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。
14:32そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。
14:33舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。

 毎日の生活で私たちはこの世という海に船をこぎ出しているのです。特別に問題もなく、穏やかに、順調に過ごすときもある。逆に、激しい試練に見舞われることもある。いや、来る日も来る日も試練の日々の連続。神さま、力を下さい、助けて下さいと祈る。神さまは聞いてくださっているのだろうか。空しくなることがある。14:27、31「すぐに」とあるようにすでに助けの手を伸ばしておられるのです。主は確かに聞いてくださっている。
 「安心しなさい。わたしだ。」エゴー、エミ。わたしはいつでも、どんな時でもあなたと共にある。
 二人が船に乗り込む、風は静まった。「本当にあなたは神の子です。」
この告白に至るように導いておられるのです。
 「あなたがたは世では苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」(ヨハネ16:33)とおっしゃる方が共におられる。