『選ばれた者の使命』 ローマの信徒への手紙3章1〜8節

 パウロは2:17以下でユダヤ人の罪を指摘した。
「あなた方は律法を教えていながら、自分には教えていないではないか。盗むなと教えながら自分では盗んでいる。姦淫するな、殺すな、ねたむなと教えながら、自分ではそれを破っている。実際に彼らはイエス様が来られ、神の言葉を語り、神の業をなしているのを見て、妬み憎み殺してしまった。あなた方は自分達は神に選ばれ、律法を与えられ、割礼を受けて、ユダヤ人である、神の民であると誇っているが、それは外見上だけで、中身がないではないか。あなた方は律法も割礼も分かっていない。それらが指し示すものは信仰だ。あなた方には神への信仰、信頼がない。その誉れは人からではなく神から来るのだ」と。
 これはユダヤ人に対して言っていることであって、私達とは関係がない、と他人事のように思ってはならない。私達の中身も問われているのだ。自分の中を見ると不安になる。自分の義に目を向ける時、罪多い自分の姿がある。そこには情けない自分がいる。
 しかし、キリスト、主イエス様に目を向ける時、そこには、こんな出来の悪い、罪に満ちた者のために十字架で死んでくださった方がおられる。イエス様が命を懸けて私の罪を引き受けて下さった。私の義はイエス様の内にある。イエス様が私達の中身となって下さるのです。それが律法の目的である。ここに神に選ばれた者の生きる道がある。自分の力によって義を打ち立てる者ではなく、イエスをキリストと仰ぎ、義とされるものである。
 それに続くのが今日の箇所です。パウロは、自分が指摘してきた問い、(律法、割礼の意義)に対して、ユダヤ人がどう応答(反論)するか予想をしながら、問答形式(ディアトリベ)で記している。

 (ユダヤ人) 03:01では、ユダヤ人の優れた点は何か。割礼の利益は何か。
 我々(ユダヤ人)は律法と割礼を唯一の神の民のしるしだと信じ、誇りにしてきた。それなのにあなたはそれさえも否定する。では我々が神に選ばれ、律法と割礼が与えられた利点は何か。優れている点はあるのか。千年以上守り続けたことは意味がないというのか。

 (パウロ) 03:02それはあらゆる面からいろいろ指摘できます。まず、彼らは神の言葉(律法)をゆだねられたのです。
 「ゆだねる」ということは相手を信頼して、期待も込めて「任せる」ということです。この人達なら私の言葉を期待し受け止めて、それを実行してくれるだろう、との思い。神はイスラエルの民をエジプトから導き出し、荒野での40年の信仰の訓練をし、その中でモーセにシナイ山で神の言葉、律法をゆだねた。モーセが最初に、イスラエルの民に語った言葉。
申命記6章1〜7節(旧約P29106:01これは、あなたたちの神、主があなたたちに教えよと命じられた戒めと掟と法であり、あなたたちが渡って行って得る土地で行うべきもの。 06:02あなたもあなたの子孫も生きている限り、あなたの神、主を畏れ、わたしが命じるすべての掟と戒めを守って長く生きるためである。 06:03イスラエルよ、あなたはよく聞いて、忠実に行いなさい。そうすれば、あなたは幸いを得、父祖の神、主が約束されたとおり、乳と蜜の流れる土地で大いに増える。 06:04聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。 06:05あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。 06:06今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、 06:07子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。)
 それ以来千年以上にわたってイスラエルの人々はこの律法を非常に大切にして来た。これは大きな祝福であった。しかし、やがて多くの人が不誠実、不信仰になって、中身のない、外側だけの偽善者に成り下がってしまった。

 (ユダヤ人)03:03それはいったいどういうことか。彼らの中に(神に選ばれたユダヤ人の中に)不誠実(神への不真実、不信仰)な者たちがいたにせよ、その不誠実のせいで、神の誠実(ユダヤ人を信頼して神の言葉を委ねた事)が無にされるとでもいうのですか。
 神はユダヤ人を信頼して律法を与えた。それなのに、ユダヤ人たちの中に 神への不誠実、不信仰な者たちがいたことで、神の信頼は無にされる、無に帰するとでも言うの。ユダヤ人を選んだ神の目が狂っていたのだろうか。神のなされたことは間違っていて、そんな神は信頼できない方なのだろうか。

 (パウロ) 03:04決してそうではない。人はすべて偽り者であるとしても、神は真実な方であるとすべきです。「あなたは、言葉を述べるとき、正しいとされ、
裁きを受けるとき、勝利を得られる」と書いてあるとおりです。

 答、ノー!(断じて、違う)
 たとえ全てのユダヤ人が神の信頼を裏切ってとしても、結果が、そうであったとしても、彼らを愛し、信頼した神は絶対に真実な方である。
 「」内の言葉(詩編51:6「ダビデが罪を指摘されたときの言葉。あなたに、あなたのみにわたしは罪を犯し、御目に悪事と見られることをしました。あなたの言われることは正しく、あなたの裁きに誤りはありません。

 (ユダヤ人)03:05しかし、わたしたちの不義が神の義を明らかにするとしたら、それに対して何と言うべきでしょう。人間の論法に従って言いますが、怒りを発する神は正しくないのですか。
 
では、仮に私の不義が傷をつけるどころか、神の正しさを帰って引き立たせるのなら、私の不実のお陰で得をなさるのは神であるから、お礼をこそ言って頂いてもよいほどで、怒られ、罰されるいわれは無いのではないか。

 (パウロ)03:06決してそうではない。もしそうだとしたら、どうして神は世をお裁きになることができましょう。
 答、ノー、とんでもない(断じて、違う)
 浅はかな人間の、不敬虔な理屈である。一体、誰が宇宙を支配しているのか、だれが善悪を裁く審判者であるのかを忘れたのか?愚か者よ!お前が主人なのではない。
 ※合唱において「音のとれない私」
 私のような出来の悪いのがいるから他人の人の良さが引き立つ。だから、もっと悪くなろう、もっと悪くなってみんなを引き立てよう。と思うだろうか。

  
 選ばれた者の使命
 ユダヤ人は神に選ばれた。神の信任を受けた。彼らがなすことは、その信任を誠実に答え得ることではないか。しかし、ユダヤ人は自らの義を誇り、他人を見下げ、裁き、神を侮ってきた。その結果、形だけで中身がないと指摘されれば、自分達の不義が神の義を引き立てているのなら、罰せられる筋合いは無いなどとうそぶく。人を裁き、神を侮る人の罪の姿である。
 
 私たちの信仰にも大いに関係がある。神に選ばれ、聖書の御言葉を与えられ、キリストの福音を信じ、バプテスマを受け、教会の、キリストを信じる群の一員として召された者の目的は何か。福音を信じ、はじめから終わりまで信仰を通して神の義が実現されることである。キリストの福音を信じるということだ。それが周囲への証しと益となる。
 申命記7章6〜9節(旧約P292  06あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。07主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。08ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジプトの王、ファラオが支配する奴隷の家から救い出されたのである。09あなたたちは知らねばならない。あなたの神、主が神であり、信仰すべき神であることを。この方は、御自分を愛し、その戒めを守る者には千代にわたって契約を守り、慈しみを注がれるが、・・・)












03:01では、ユダヤ人の優れた点は何か。割礼の利益は何か。
03:02それはあらゆる面からいろいろ指摘できます。まず、彼らは神の言葉をゆだねられたのです。
03:03それはいったいどういうことか。彼らの中に不誠実な者たちがいたにせよ、その不誠実のせいで、神の誠実が無にされるとでもいうのですか。
03:04決してそうではない。人はすべて偽り者であるとしても、神は真実な方であるとすべきです。「あなたは、言葉を述べるとき、正しいとされ、
裁きを受けるとき、勝利を得られる」と書いてあるとおりです。
03:05しかし、わたしたちの不義が神の義を明らかにするとしたら、それに対して何と言うべきでしょう。人間の論法に従って言いますが、怒りを発する神は正しくないのですか。
03:06決してそうではない。もしそうだとしたら、どうして神は世をお裁きになることができましょう。
03:07またもし、わたしの偽りによって神の真実がいっそう明らかにされて、神の栄光となるのであれば、なぜ、わたしはなおも罪人として裁かれねばならないのでしょう。
03:08それに、もしそうであれば、「善が生じるために悪をしよう」とも言えるのではないでしょうか。わたしたちがこう主張していると中傷する人々がいますが、こういう者たちが罰を受けるのは当然です。